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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ぶらぶらしているより
 初冬の晴れた早朝、各駅停車しか止まらない駅の改札口。集合時刻にはまだ15分もあります。駅前にはベランダの手摺りが錆びたままの空室が目立つアパート、それに笑いを誘うくらい安直なネーミングの飲食店が数軒。Early winter 仕事が入らないからと、ぶらぶらしているのも何だかなと思って日雇いの派遣労働を体験しにきたのです。長い影を引きずって三々五々集まってきたのは20人ほど。殆どが若者で、同年輩は女性が二人だけです。今冬一番の冷え込みなのに、20代半ばと思しき娘はコンビニで買ったアイスキャンディーを囓っています。この日働く倉庫は、送迎のマイクロバスで駅から10分ほど、大型トレーラーが行き交う橋を渡った埋め立て地にありました。
 出勤簿に氏名を書き、帽子を被って安全靴に履き替え、体操に朝礼。最近ミスが相次いでいて、その事後処理が増えているので作業は正確に。40代の職場長がそんな注意をします。仕事はピッキングと知らされていましたが、倉庫の隅にある事務所へ連れて行かれたのは小生だけ。何をやらされるのだろうかと少々不安になります。こうした派遣労働は、慢性的な人手不足に悩んでいる事業所が多いからか「60歳」だからと断られることはないようです。3日ほど前に派遣会社で登録したのですが、職務経歴書はおろか履歴書すら不要で、免許証や保険証などで簡単に身元を確認するだけです。感心したのは、その場で自撮りしてメールで送るという顔写真。なるほど、データで保管するには、プリントした証明写真を受け取るより手間が省けます。
 不安だった仕事の内容は、伝票整理でした。60歳に重いモノを運ばせるのは酷だと、やはり配慮してくれたのでしょうか。コンピュータとソーターで省力化できなくもない作業ですが、指示された仕分けは複雑で、プログラミングが大変そうです。それ自体は何の意味もない数字やアルファベットの羅列とにらめっこ。まるで禅の修行のような作業を黙々と続けていると、事務員が電話をとりながら激しく咳き込み、電話の相手に心配されている様子。インフルエンザ等が蔓延して応援が必要になる前に休ませれば良いのに老婆心ながら思ってしまいます。とりあえず加湿器は?しかし、見当たりません。聞き耳を立てなくても、正社員や常駐派遣の人たちの雑談も耳に入ってきます。子どものクリスマスプレゼントには何がよいか、最近テーマパークで面白かったアトラクションは、……。仕事の効率や環境の改善どころか、それに繋がる愚痴もなく、きっぱりとプライベートな内容です。
 45分と15分の休憩を挟んで計8時間、老眼鏡をかけ放っなしで500枚くらい処理しました。遅い午後、この日どこまで済ませばよいのかと尋ねると、その時点でノルマはすでに達成していたことが判明。それでも終業は5時半と決められているので、結局2日分の仕事をしました。日雇いだからでしょうが、作業内容の指示以外の話は一切なく、その仕事の位置付けや全体像の説明もありません。かといって、交通費は自腹で時給も1,000円を割っていて、インセンティブなし。こうした環境ではモチベーションの維持が難しく、1週間続けるのも苦しそうです。経験を活かせる仕事が入らない日には、年齢を問われない派遣労働をしようかと考えているわけですが、さて、続けられる職場に何カ所目に当たるか、それが当面の問題です。(しんぼー)


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テーマ:働き方 - ジャンル:就職・お仕事

世界遺産がある街で
 ドローン操縦士の養成学校で5ヵ日のコースを終えて帰路に着こうとした時、秋雨前線と台風接近の狭間のわずか1時間くらいのことですが、姫路城に陽光が射しました(写真)。「ドローンと姫路城」と言えば去年の9月と11月、それぞれ無許可で飛ばしていたドローンが城に衝突した事故が全国ニュースになり、ご記憶の方も多いかと思います。 世界遺産を一目見ようと海外からも押し寄せる観光客の中には、白鷺城の雄姿を空撮したいと思う人も少なくないのですが、ドローン飛行のルールはまだまだ周知されていません。
 今回学校で座学と実技の授業を受けてつくづく思いました。やはり関係法令や許可申請法を知り、一定の操縦技術を身に着け、保険をかけてからでないと、ドローンは飛ばすのは大変危険なことだと。本格的なドローンは重さが1.2キログラム以上あり、時速50キロ以上で飛ばすことも出来ます。コントロールできなくなって墜落させれば、死傷者を出したり、器物を損壊する可能性は大きく、数十万円する機体も一瞬にしておシャカになります。
 ところが、現行モデルのドローンはGPSや各種センサーが完備されていて、全くの初心者でも機体を安定させられ、きれいに着陸させられます。加えて、バッテリー残量を計算して自ら離陸地点へ戻って来たり、障害物を感知して自動的に避けたりと至れり尽くせりです。こうした自動操縦の先進テクノロジーが、ドローンを写真や映像の空撮のみならず、建造物の検査や測量、農業、運輸などの多分野へ爆発的に普及させていると言えます。
 しかし、ヘリコプターのパイロットや、趣味でラジコンヘリを飛ばしてきた人でない限り、三次元を自由自在に飛ぶドローンをマニュアルで操縦することは決して簡単ではないということも今回実感しました。ちなみに、マニュアル操縦は操縦士の資格取得条件なので、学校は敢えて旧式のマニュアル機で訓練させます。指先のほんの少しの動きで機体は上下左右前後に大きく動き、風向きや風速はもちろん、電波に影響を与える鉄製の柱なども計算に入れなければならず、何よりも操縦者自身が機体に乗っているわけではないので向きを変えた時に正しい方向感覚を維持するのは至難の業です。それでも周囲の建造物や地形、気象条件などの影響で自動操縦を司るGPSや手元へ映像を送っている電波が切れた時には、機体を遠くから見上げてマニュアルで操縦しなければなりません。それはひとえに事故を回避するために他なりません。
 ドローン操縦士協会(DPA)の「ドローン操縦士回転翼三級」という資格を60歳にして取得しましたが、水泳や自転車、車の運転と違ってドローン操縦の感覚はすぐに落ちてしまうとのこと。朝に晩にとPCモニターにフライトシミュレーターを開いては慣熟飛行の日々。ゲーム世代の若者は楽しみながらメキメキ腕を上げるのでしょうが、時代についていくのも大変です。(しんぼー)
 

テーマ:資格取得 - ジャンル:学校・教育

突発性難聴とドローン
 墓参の帰りに立ち寄った大阪なんばの高層ビルで、今年は異常繁殖と報道されていたカメムシを発見。はてさて、定年退職して2か月余りが過ぎ、引っ越しの片付けや身辺整理が済むと、することがありません。仕事を生き甲斐に37年間働いてきた人間にとって“毎日が日曜日”というのはなかなか堪えがたいものです。そのストレスからか、先日目覚めると右耳に前夜はなかった詰耳感があり、シャーと一定のボリュームでの耳鳴りも。もしやと耳鼻咽喉科を受診すると、やはり突発性難聴。幸い適切な処方があって3日後には全快しました。kamemushi 
 もちろん仕事は探していますが、年齢で門前払い状態。少子高齢社会で労働力不足の今世、中高年にも仕事があって良さそうなものですが、これまでの経験を活かせる仕事は今のところありません。仕事に求めるのは、もはや高給や安定、福利厚生などではなく、生き甲斐。贅沢な悩みかも知れませんが、自己存立を求められない仕事なら、やっても意味がないように思えてしまうのです。
 かといって、手を拱いていても仕方がないので、新たなチャレンジをすることに。小生は30代半ばまで毎月のようにヘリや軽飛行機から空撮をし、周囲からも空撮が上手いと言われていました。そこで、いま大流行のドローンの操縦や法規を習得することにしました。以前は空からのカットが欲しくても、最低10万円くらい割けなければ空撮は諦めざるを得ませんでした。しかし、ドローンの出現で空撮は手軽になっています。但し、日本アルプスなどの高高度撮影や強風を押しての被災地や海難事故などの取材、都会の夜景などは今もヘリや飛行機からでないと不可能ですが…。
 ドローンの技術と知識を習得すれば、潜水士免許は若い頃に取っていて、今も毎週ジムに通って体力を維持していますので、水陸空どこでも撮影・取材できることになります。しかしながら、何を取材するのか、そのテーマが最重要なことには何ら変わりありません。早く平素の仕事を始め、以前同様にライフワークの東南アジア取材を再開したく思っています。(しんぼー)


テーマ:ひとりごと - ジャンル:学問・文化・芸術

25年ぶりの帰郷
 福岡市にある放送局を定年退職し、故郷の兵庫県芦屋市へ引き揚げて来ました。小生が関東や九州で暮らしていた25年の間に、この地方では阪神淡路大震災と被災地からの復興がありました。170909ashiya 
 震災発生当時、小生は東京で週刊誌の仕事をしていて、朝のTVニュースを見るや否や、羽田から徳島経由で当日昼には被災地へ入っていました。鳴門大橋で淡路島へ、同島の震源地を取材し、渡船で明石海峡を渡ると商店街で自転車を買い、土地勘を活かして被害状況や避難した人たちを東へ西へと2週間ぶっ通しで取材して回りました。
 家々は東日本大震災に襲われた東北では津波が到達しない高台へ、記録的豪雨に見舞われた九州では山崩れが起きない平地へ移されつつあります。阪神間では瓦屋根の日本家屋や商店、民家が軒を連ねる密集地は殆どなくなり、道路は拡張されて区画まで変わっています。あれだけの被害から復興したわけですから、再開発された街に震災前の面影を見つけるのは難しく、人々も入れ替わっているのは無理もありません。35歳まで暮らした地域にも関わらず、まるで初めて訪れた出張先のようです。
 再び激甚災害に遭っても被害を小さく抑えられるようにと防災都市に生まれ変わった街。亡くなった人や引っ越して行った人も少なくありません。そもそも小生が故郷を離れて各地に住んだのも、そこにあった仕事を求めてのことでした。安心安全と豊かで安定した生活を求めてきた年月の帰結なのですが、今は懐かしさより、一抹の寂しさを感じずにはおれません。(しんぼー) 


テーマ:ひとりごと - ジャンル:学問・文化・芸術

定年退職しました
retired 60歳の誕生日に勤務先を定年退職しました。所属部署や仕事仲間、そしてネタを提供してくれたり、取材に応じてくださっていた人たちが、それぞれ送別会を催して下さり、計8回と嬉しい悲鳴です。ちなみに、うち3回はこれからです。赤いネクタイや大きな花束、餞別などを頂いていますが、何よりも多忙な皆さんが参集して下さったことに感謝しています。
 同時に、好き勝手なことをやっていたにも関わらず、取材中に事件事故に巻き込まれたり、自ら起こしたりして皆様にご迷惑をかけずに済んだと、我ながら今ホッとしています。また、小生の取材スタンスや制作手法を惜しんでくれる人達もいて嬉しく思います。
 以下は勤務先の社内報に250字で寄稿した挨拶です。
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 中途入社の小生はこちらでお世話になる前、新聞で12年、雑誌で6年仕事しましたが、結局テレビが19年と最も長くなりました。ずっと取材・編集の現場で働きたいというワガママを聞いて下さった会社には大変感謝しております。定年を機に福岡市での単身生活にピリオドを打って兵庫県芦屋市の自宅へ帰りますが、ジャーナリストは続ける所存です。ライフワークとして30年通っている東南アジアや、35歳まで暮らしていた関西で何か御用がありましたら、お気軽にお声がけ下さい。末筆ながら、皆さまの益々のご健勝お祈り申し上げます。
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 上記の通り勤務先を去り、引っ越しても、心身が耐えられるまでこの仕事は続けますので、当ブログ『フォトジャーナリストの戯言』と個人サイト『東南アジアの人々』を引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。(しんぼー)