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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
25年ぶりの帰郷
 福岡市にある放送局を定年退職し、故郷の兵庫県芦屋市へ引き揚げて来ました。小生が関東や九州で暮らしていた25年の間に、この地方では阪神淡路大震災と被災地からの復興がありました。170909ashiya 
 震災発生当時、小生は東京で週刊誌の仕事をしていて、朝のTVニュースを見るや否や、羽田から徳島経由で当日昼には被災地へ入っていました。鳴門大橋で淡路島へ、同島の震源地を取材し、渡船で明石海峡を渡ると商店街で自転車を買い、土地勘を活かして被害状況や避難した人たちを東へ西へと2週間ぶっ通しで取材して回りました。
 家々は東日本大震災に襲われた東北では津波が到達しない高台へ、記録的豪雨に見舞われた九州では山崩れが起きない平地へ移されつつあります。阪神間では瓦屋根の日本家屋や商店や民家が軒を連ねる密集地は殆どなくなり、道路は拡張されて区画まで変わっています。あれだけの被害から復興したわけですから、再開発された街に震災前の面影を見つけるのは難しく、人々も入れ替わっているのは無理もありません。35歳まで暮らした地域にも関わらず、まるで初めて訪れた出張先のようです。
 再び激甚災害に遭っても被害を小さく抑えられるようにと防災都市に生まれ変わった街。亡くなった人や引っ越して行った人も少なくありません。そもそも小生が故郷を離れて各地に住んだのも、そこにあった仕事を求めてのことでした。安心安全と豊かで安定した生活を求めてきた年月の帰結なのですが、今は懐かしさより、一抹の寂しさを感じずにはおれません。(しんぼー) 


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テーマ:ひとりごと - ジャンル:学問・文化・芸術

定年退職しました
retired 60歳の誕生日に勤務先を定年退職しました。所属部署や仕事仲間、そしてネタを提供してくれたり、取材に応じてくださっていた人たちが、それぞれ送別会を催して下さり、計8回と嬉しい悲鳴です。ちなみに、うち3回はこれからです。赤いネクタイや大きな花束、餞別などを頂いていますが、何よりも多忙な皆さんが参集して下さったことに感謝しています。
 同時に、好き勝手なことをやっていたにも関わらず、取材中に事件事故に巻き込まれたり、自ら起こしたりして皆様にご迷惑をかけずに済んだと、我ながら今ホッとしています。また、小生の取材スタンスや制作手法を惜しんでくれる人達もいて嬉しく思います。
 以下は勤務先の社内報に250字で寄稿した挨拶です。
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 中途入社の小生はこちらでお世話になる前、新聞で12年、雑誌で6年仕事しましたが、結局テレビが19年と最も長くなりました。ずっと取材・編集の現場で働きたいというワガママを聞いて下さった会社には大変感謝しております。定年を機に福岡市での単身生活にピリオドを打って兵庫県芦屋市の自宅へ帰りますが、ジャーナリストは続ける所存です。ライフワークとして30年通っている東南アジアや、35歳まで暮らしていた関西で何か御用がありましたら、お気軽にお声がけ下さい。末筆ながら、皆さまの益々のご健勝お祈り申し上げます。
 *****
 上記の通り勤務先を去り、引っ越しても、心身が耐えられるまでこの仕事は続けますので、当ブログ『フォトジャーナリストの戯言』と個人サイト『東南アジアの人々』を引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。(しんぼー)
トンデモナイ国
 ユネスコ無形文化遺産に昨年末登録された博多祇園山笠のフィナーレ、追い山に勤務先の仕事で行って来ました。日本の伝統文化が世界に認知され、祭りは一層盛大に執り行われました。しかし、一方では政権トップにべったりの御用記者が犯したレイプ事件を揉み消したり、防衛大臣が自衛隊を自分が所属する政党の軍と認識している発言をしたり、トンデモナイことが起こっています。小生は内政ではなく、東南アジアをライフワークとして来ましたが、その理由の一つは海外情勢を知ることで複眼を持つことができ、自国がよく見えてくるからです。
 権力や資本が身内の悪事や事件を揉み消すことは、正規の給料だけでは喰っていけない貧しい国では日常茶飯事にあり得ます。なぜなら、法も警察も検察も裁判所も税務署も名ばかりで、生活費に占める“袖の下”が大きく、権力に擦り寄って“上納金”を納めていれば安泰ですから。
 また、多党制民主主義の国で、軍が政党に属しているならば、それは国軍ではなく一政党の軍です。となると、第二党をはじめ野党もそれぞれ自軍を持っていたり、地域に民兵がいたり、軍自体が一つの政治勢力であったりしてもオカシクありません。一党独裁の国でその党が軍を持っている場合は自国民に対する武力による威嚇や弾圧があり、政党が複数ある国で各党が軍を持っているならば簡単に内戦になり、軍が政治勢力なら軍事クーデターも起きます。
 それでも途上国や中進国では、政権に対して国民が時には命を張ってでも抗議のゼネストやデモを起こし、メディアも存亡を賭けて闘います。そうした国々と比べれば、日本は豊かで貧富の差も小さく、長年安定してきたからでしょう、デモどころか世論すら盛り上がりませんし、メディアも自主規制しています。数カ国の変節を取材してきた小生の眼には、今この国は民主主義国家ではなく、三権が分立しておらず、第四の権力と呼ばれるメディアもないといった状況に見え、海外からもそんな国に見られている筈だと思うのです。(しんぼー)


新たなチャレンジに向けて
 日本の冬を越した赤紫のブーゲンビリアが拙宅のベランダに咲き乱れています。南米原産だそうですが、小生がライフワークで通っている東南アジアの国々では歩道の植え込みや垣根など、あちこちに見られる低木です。ちなみに、花言葉は「情熱」。そんな初夏を迎え、勤務先の定年まで残すところ1カ月半となりました。bougainvillieaもう長期取材が必要な企画はできないので、久しぶりに街ダネをやっています。片や、米朝間の軍事的緊張の高まり、欧州でのテロ頻発などを受け、この国の一党独裁に拍車がかかっています。広い世界には、等距離外交で切り抜け、独立を守ってきた国々もあります。しかし、高度成長期を終え、人口が減少に転じても、この国は物質的な豊かさに執着していて行方が見えません。反基地運動への弾圧、テロ等準備罪の新設、国家戦略特区の疑惑など、いみじくも権力の傲慢さや腐敗が馬脚を現しています。法律は機能せず、袖の下や縁故しだいといった発展途上国と見紛う有り様です。この国の問題は相対的貧困であって、そうした途上国にある絶対的貧困ではありません。
  そこそこの生活と経営が出来ているので、日々の暮らしには直接関係ない議論だと思っている市民や企業が多いからでしょう、この期に及んでも世論が盛り上がりません。一方で相対的貧困の連鎖を断ち切るのが難しい社会で、右傾化する若い人が目立ちます。メディアも翼賛会のような論調を先鋭化させる社もあり、そうでないメディアも受け手やスポンサーの関心が低いことをよいことに、利益を優先させ、自主規制しているようにも見えます。
 民主国家の国是は世論が前提のはずですが、こんな調子で良いのでしょうか。憤りを覚えながらも、まだ今は核心からほど遠いというか、敢えて触れない仕事をしています。受け手や既存メディア、スポンサーが求めているのは当たり障りがないモノだということは、長らくメディア企業の内側で働き、ひしひしと感じています。いつの時代のジャーナリストも、その時々にすべき仕事は分かっていて、それが出来ないジレンマを感じていたと思います。今の小生のように、企業内いたり、部署や担当が違ったり、スポンサーが付かなかったり、資金の貯えがなかったり、採用されなかったり、…。ただ、先人たちより恵まれているのは、インターネットの普及です。
 フリーランス・ジャーナリストに戻る8月以降は、今一番すべきと思う仕事にチャレンジしたく思っています。なにも企業ジャーナリストでなくても、市井の人たちが取材に応じてくれさえすれば「一番すべき」仕事は出来ます。世界各国の民意や日本の立ち位置をはじめ、政府や大企業のフィルターがかかっていない市民レベルの意見や活動などの情報が絶対的に不足していると思っています。(しんぼー)

「暮らしやすさ」 ~ゴミ当番の月に~
 PTAの役員が自校の児童を殺害するという事件が起きました。学校に限らず、町内会の役員や小さな自治体の議員など地域のボランティア的な仕事を引き受ける人が全国的に少なくなっています。数少ない篤志家か、志がなければ、そこに公共ではなく自分の利益を期待する人しか手を挙げない状況です。今回の事件もそうした背景を否定できず、子育てをはじめ、少子高齢、防犯、過疎などの社会問題の根底に、いつも地域コミュニティの希薄さや崩壊が挙げられています。com_lock 
 小生も様々な局面でこの問題を取り上げてきましたが、ここへ来て個人として賃貸で入居しているマンションで、今月ゴミ当番が回って来たのです。可燃ゴミ回収日の週2回と不燃ゴミの月2回、決められた曜日の一定の時間帯にゴミ置き場の扉を解錠するのが当番の役割です。街の美化だけでなく、地域が荒れないよう防犯にも繋がり、至っては町内コミュニティを維持する一つの活動であることは理解しています。しかし、小生のような一人住まい、或いは共稼ぎ世帯にとって、その日時が勤務時間と重なったり、出張で帰宅できなかったりすることは少なくありません。小生の場合は、当番の仕事ができない日にゴミ当番を代行してもらうべく、便利屋と1ヶ月間の契約を結びました。
 二、三世代同居ならば、一家揃って旅行に行ったりすることがなければ、ゴミ当番も家族の誰かが果たせます。そうではない独居や核家族、共稼ぎというライフスタイルは経済を優先した帰結であることが殆どです。それでも、個人も地域も窮極の目標は同じで、「暮らしやすさ」の筈なのですが、それを感じるところや、優先順位の違いから個人同士、個人と地域の間でなかなか協調できず、拮抗さえしています。自給自足の部分など殆どない貨幣経済の真っ直中で暮らしていると、どうしても収入を得ることが第一義となっています。衣食住すべてカネで買っていて、人付き合いや趣味、娯楽にまでカネが要ります。タイトな地域コミュニティがあれば、物々交換したり、労働で助け合ったり、仲間で遊んだりして現金収入は少なくても暮らせます。しかし、そのためには日頃からひとり一人が互いに地域コミュニティに時間や労力を注いでいなければ成立しません。
 同時代の渦中にいる個人としては実際、便利屋に依頼するといったその場しのぎの方策しかとれていません。「暮らしやすさ」は誰もが求めていることだとすれば、交通と通信の発達によって、住んでいる地域と経済・社会活動している地域が大きく異なっている人が多いという点が、この問題における元凶?こう思うと、どうしようもなく、もう堂々巡りです。(しんぼー)