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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
トンデモナイ国
 ユネスコ無形文化遺産に昨年末登録された博多祇園山笠のフィナーレ、追い山に勤務先の仕事で行って来ました。日本の伝統文化が世界に認知され、祭りは一層盛大に執り行われました。しかし、一方では政権トップにべったりの御用記者が犯したレイプ事件を揉み消したり、防衛大臣が自衛隊を自分が所属する政党の軍と認識している発言をしたり、トンデモナイことが起こっています。小生は内政ではなく、東南アジアをライフワークとして来ましたが、その理由の一つは海外情勢を知ることで複眼を持つことができ、自国がよく見えてくるからです。
 権力や資本が身内の悪事や事件を揉み消すことは、正規の給料だけでは喰っていけない貧しい国では日常茶飯事にあり得ます。なぜなら、法も警察も検察も裁判所も税務署も名ばかりで、生活費に占める“袖の下”が大きく、権力に擦り寄って“上納金”を納めていれば安泰ですから。
 また、多党制民主主義の国で、軍が政党に属しているならば、それは国軍ではなく一政党の軍です。となると、第二党をはじめ野党もそれぞれ自軍を持っていたり、地域に民兵がいたり、軍自体が一つの政治勢力であったりしてもオカシクありません。一党独裁の国でその党が軍を持っている場合は自国民に対する武力による威嚇や弾圧があり、政党が複数ある国で各党が軍を持っているならば簡単に内戦になり、軍が政治勢力なら軍事クーデターも起きます。
 それでも途上国や中進国では、政権に対して国民が時には命を張ってでも抗議のゼネストやデモを起こし、メディアも存亡を賭けて闘います。そうした国々と比べれば、日本は豊かで貧富の差も小さく、長年安定してきたからでしょう、デモどころか世論すら盛り上がりませんし、メディアも自主規制しています。数カ国の変節を取材してきた小生の眼には、今この国は民主主義国家ではなく、三権が分立しておらず、第四の権力と呼ばれるメディアもないといった状況に見え、海外からもそんな国に見られている筈だと思うのです。(しんぼー)


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新たなチャレンジに向けて
 日本の冬を越した赤紫のブーゲンビリアが拙宅のベランダに咲き乱れています。南米原産だそうですが、小生がライフワークで通っている東南アジアの国々では歩道の植え込みや垣根など、あちこちに見られる低木です。ちなみに、花言葉は「情熱」。そんな初夏を迎え、勤務先の定年まで残すところ1カ月半となりました。bougainvillieaもう長期取材が必要な企画はできないので、久しぶりに街ダネをやっています。片や、米朝間の軍事的緊張の高まり、欧州でのテロ頻発などを受け、この国の一党独裁に拍車がかかっています。広い世界には、等距離外交で切り抜け、独立を守ってきた国々もあります。しかし、高度成長期を終え、人口が減少に転じても、この国は物質的な豊かさに執着していて行方が見えません。反基地運動への弾圧、テロ等準備罪の新設、国家戦略特区の疑惑など、いみじくも権力の傲慢さや腐敗が馬脚を現しています。法律は機能せず、袖の下や縁故しだいといった発展途上国と見紛う有り様です。この国の問題は相対的貧困であって、そうした途上国にある絶対的貧困ではありません。
  そこそこの生活と経営が出来ているので、日々の暮らしには直接関係ない議論だと思っている市民や企業が多いからでしょう、この期に及んでも世論が盛り上がりません。一方で相対的貧困の連鎖を断ち切るのが難しい社会で、右傾化する若い人が目立ちます。メディアも翼賛会のような論調を先鋭化させる社もあり、そうでないメディアも受け手やスポンサーの関心が低いことをよいことに、利益を優先させ、自主規制しているようにも見えます。
 民主国家の国是は世論が前提のはずですが、こんな調子で良いのでしょうか。憤りを覚えながらも、まだ今は核心からほど遠いというか、敢えて触れない仕事をしています。受け手や既存メディア、スポンサーが求めているのは当たり障りがないモノだということは、長らくメディア企業の内側で働き、ひしひしと感じています。いつの時代のジャーナリストも、その時々にすべき仕事は分かっていて、それが出来ないジレンマを感じていたと思います。今の小生のように、企業内いたり、部署や担当が違ったり、スポンサーが付かなかったり、資金の貯えがなかったり、採用されなかったり、…。ただ、先人たちより恵まれているのは、インターネットの普及です。
 フリーランス・ジャーナリストに戻る8月以降は、今一番すべきと思う仕事にチャレンジしたく思っています。なにも企業ジャーナリストでなくても、市井の人たちが取材に応じてくれさえすれば「一番すべき」仕事は出来ます。世界各国の民意や日本の立ち位置をはじめ、政府や大企業のフィルターがかかっていない市民レベルの意見や活動などの情報が絶対的に不足していると思っています。(しんぼー)

「暮らしやすさ」 ~ゴミ当番の月に~
 PTAの役員が自校の児童を殺害するという事件が起きました。学校に限らず、町内会の役員や小さな自治体の議員など地域のボランティア的な仕事を引き受ける人が全国的に少なくなっています。数少ない篤志家か、志がなければ、そこに公共ではなく自分の利益を期待する人しか手を挙げない状況です。今回の事件もそうした背景を否定できず、子育てをはじめ、少子高齢、防犯、過疎などの社会問題の根底に、いつも地域コミュニティの希薄さや崩壊が挙げられています。com_lock 
 小生も様々な局面でこの問題を取り上げてきましたが、ここへ来て個人として賃貸で入居しているマンションで、今月ゴミ当番が回って来たのです。可燃ゴミ回収日の週2回と不燃ゴミの月2回、決められた曜日の一定の時間帯にゴミ置き場の扉を解錠するのが当番の役割です。街の美化だけでなく、地域が荒れないよう防犯にも繋がり、至っては町内コミュニティを維持する一つの活動であることは理解しています。しかし、小生のような一人住まい、或いは共稼ぎ世帯にとって、その日時が勤務時間と重なったり、出張で帰宅できなかったりすることは少なくありません。小生の場合は、当番の仕事ができない日にゴミ当番を代行してもらうべく、便利屋と1ヶ月間の契約を結びました。
 二、三世代同居ならば、一家揃って旅行に行ったりすることがなければ、ゴミ当番も家族の誰かが果たせます。そうではない独居や核家族、共稼ぎというライフスタイルは経済を優先した帰結であることが殆どです。それでも、個人も地域も窮極の目標は同じで、「暮らしやすさ」の筈なのですが、それを感じるところや、優先順位の違いから個人同士、個人と地域の間でなかなか協調できず、拮抗さえしています。自給自足の部分など殆どない貨幣経済の真っ直中で暮らしていると、どうしても収入を得ることが第一義となっています。衣食住すべてカネで買っていて、人付き合いや趣味、娯楽にまでカネが要ります。タイトな地域コミュニティがあれば、物々交換したり、労働で助け合ったり、仲間で遊んだりして現金収入は少なくても暮らせます。しかし、そのためには日頃からひとり一人が互いに地域コミュニティに時間や労力を注いでいなければ成立しません。
 同時代の渦中にいる個人としては実際、便利屋に依頼するといったその場しのぎの方策しかとれていません。「暮らしやすさ」は誰もが求めていることだとすれば、交通と通信の発達によって、住んでいる地域と経済・社会活動している地域が大きく異なっている人が多いという点が、この問題における元凶?こう思うと、どうしようもなく、もう堂々巡りです。(しんぼー)
 

微視的?働き方
 海外で外国人スタッフと協力して仕事をして来ました。小生が言うまでもなく、国籍や母語が違っても共同して一つのモノを作り上げることは可能です。しかし、メディア業界はそれぞれの国の国語能力が必須で、日頃の取材対象は大半が自国内という2つの理由で、海外シフトが難しく、空洞化しにくい産業の一つだと改めて思いました。但し、黎明期には先進国から輸入したものを翻訳して出版・放送する割合が大きいということはあります。
 政府は働き方改革をリードしようとしていますが、人口減が確実なこの国で、メディア企業も黒字経営を続け、生き残るために、やはり人件費削減を押し進めています。もう20年以上前からカメラマンやデザイナー、ライターなどの専門職は本体から子会社や下請け企業の社員へ、或いはフリーランスとの契約へと移行しだしていました。管理部門だけを国内に残し、実務は安くあがる海外へという形を取ることが難しい業種だけに、今では非正規雇用の割合を増やしたり、熟達したプロは案件毎の請負契約でという傾向がますます著しくなって来ています。また、新人と先輩にペアを組ませ、知識や技術を継承するということも、目先の効率優先で滅多に見受けられない時代となっています。当然、正社員は減り、その上で労災や過労死を防ぐ観点からですが、時間で切ることが不可能な職種でも一律にタイムカード制を導入したりといった具合です。
 今更ですが、メディア業界に限ったことではなく、企業や団体、クライアントと契約を結ぶ(就職する)前や勤務時間外の自由な活動が仕事にも大切なのは言うまでもありません。読書やネットでの情報収集、映画、演劇、スポーツ観戦、各種趣味、夜の社交場、知人友人との付き合い、ジムなどでの健康・体力維持、旅行など。それぞれの業界の人間として行えば、閃きといった発想や人脈作りなどを含め、得るモノは計り知れません。最初のアイデアが陳腐だと、どれだけ働いても徒労に終わったり、人脈がないとやたらと経費がかかったり、実現しなかったりします。逆に「どうせ仕事をせずに、遊んでいると見られるなら」と割り切ってしまうと、私的な経験を仕事に還元するのは馬鹿馬鹿しいと思わないでしょうか。さらには、そもそも遊びがなければ擦り切れてしまうのが人間ではないかと思うのです。
 サラリーマン生活も残すところ4カ月となりました。かといって、たとえ神様が二十過ぎの新人に戻してやろうと言っても、もう一回頑張り通すのはシンドイし、二度目も巧く切り抜ける自信がないので、小生は神様に「ノー・サンキュー」と言います。そんな心境でも、この国この社会の明日を考えると、近年の“遊び”を認めない働き方や勤務時間外の活動を見ない契約に疑問を感じているこのごろです。(しんぼー)

公私の狭間で
 今月と来月は東南アジアへ出張続きで、このブログもバンコクのホテルで更新しています。勤務先の仕事なので守秘義務があり、具体的には書けませんが、要は一つの事業を東南アジアの国の人たちと共同でやっています。小生は過去29年間、自主取材のために東南アジアへ通い、その過程で人脈を培い、信用を得ることが出来ました。今それを一気に放出しているような感じです。downtown_bkk 
 破格の低予算で日本のスタンダードに合わせ、期日に間に合わせるという仕事で、間に立って現場で実務を進める身は、文字通り板挟みになっています。気持ち良く仕事をしてもらい、円滑にコトを運ぶためには、立て替えたり、イロを着けたり…。初対面でその場限りならいざ知らず、長年の付き合いがあり、これからも取材などで力を借りたい旧友たちやその友だちだけに、我が身を削るしかありません。
 長年、自主取材のテーマとしてきたことが「南北問題」や「格差」です。その中でいつも思うことは、東南アジアには東南アジアの自然環境に育まれた価値観や、歴史文化に呼応した流儀があり、それを日本などの先進工業国に合わせるか否かは彼らが決めるべきことだと思うのです。しかし、ひとたび共同事業となると、互いに歩み寄るしかありません。且つ、イニシャティブを取っている側がその決断を迫ったり、急かしたりしがちです。
 個人として付き合ってきた東南アジアと、所属企業の一員として付き合うというのは、まさに公私混同。自分の考え方や習慣を変えてまでも、収入を増やしていきたいとは思っていない人たちが少なからずいます。現金収入より大切にしているコトやモノを持っている人たちは、一つの国の中でも大昔から必ず一定の割合でいたと思いますが、国境を跨ぎ異文化ともなれば、さらにその異差が際立ちます。知人友人が間を取り持って窮地に立たされたケースは幾つも見聞きしてきましたが、やはりストレスはかなりのものです。(しんぼー)