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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
デジタルの功罪 ~限られる仕事の行方~
 いやはや1週間ほどの間に、デスクトップとノートそれぞれのパソコン、それにビデオカメラが故障しました。今夏は異常に暑く、パソコンには常に扇風機で風を送り、カメラにかかる汗はその都度拭っていましたが、小生の仕事部屋も連日35度。デジタル機器とはいえ、過去数年は問題なく使えていた3台がほぼ同時に壊れ、酷暑が原因とは特定できませんが、自然に畏敬の念を感じそうになったり、運勢のようなものまで疑いたくなる災難です。trouble_pc 
  小生が社会人になった頃は、紙と鉛筆、フィルムカメラで仕事をしていました。辞書を引いたり、過去の記事を見たり、現像したり、伝送したり、編集したり、複製を作ったり、道具は使っても全てアナログ式で勘がモノを言う手作業でした。しかし、気がつけば、いまその全てをパソコンに取って代わられています。確かにコツを覚えたりする時間は要らず、いきなり能率が良くなり、そのコンピュータやデジタルカメラも個人で持てるくらい安価になりましたが、こうしてひとたび壊れると、過去のモノは見られなくなり、先に進むこともできず、完全に仕事がストップしてしまいます。道具を使うのではなく、正に道具に使われています。それでも、自他共に環境がすっかり変わってしまっているので、手に覚えがあるからとて、アナログに戻ることは不可能です。
 メーカーの修理担当に電話すると自動応答。選択肢を選んで行くと、その修理の見積もり額を合成音声で答えるといった具合で時代を感じずにはおれません。部品を丸ごと替える修理なので簡単に見積もり額が出るのですが、その金額の7割方は技術料という人件費です。かといって、あくまでも部品を替える作業であって、部品を直すことはありません。大量生産される部品が、人件費より格段に安くなっているからですが、この流れで行くと、いよいよコンピューターとロボットに仕事を取られてしまいそうな危機感を覚えます。繰り返しの多い単純作業だけではありません。状況判断が必要でも、その状況がデータ化されていればコンピュータが冷静な判断を下せる仕事。一見クリエイティブに見えても、一定の法則で位置や順序を入れ替えているだけの仕事。こんな仕事は既に大分なくなって来ています。
 今回、デジタル機器が立て続けに故障し、改めて考えさせられています。コンピュータとロボット、ソフトウェアの開発者以外の求人といえば、飲食業だけではなく、どんな畑であろうが、接客業の要素が多分に入っている職になっています。今の若い人たちはフェーストゥフェースの仕事を敬遠する傾向があるとは聞いていますが、これからもこの傾向はどんどん強まることだろうと。サービスはもちろん品物でも、やはりコンピュータやロボットにできない、できたとしても、クライアントが付随的に感情を伴った人間関係を求める仕事しか残らないのではないか。利益を上げるための能率向上や省力化が極まり、限られた仕事しかない時代になっても、その利益を分配して食えれば良いのでしょうか。(しんぼー)
  

障害者施設の事件に思う
 障害者施設の元職員が入所者ら44人を殺傷するという戦後最悪の事件が起こりました。現場が勤務先の取材エリアでないのと、小生は事件事故を扱う部署にいないので、全く一読者、一視聴者として事件を知りました。しかし、身体・知的・精神障害者やその施設はニュースでもドキュメンタリーでも何度も取材したことがあります。ニュースでは環境の改善を訴え、ドキュメンタリーではノーマライゼーションを推すためでした。killed19hc.jpg
 この国での偏見や差別は少なくなったようで、所得や学力の二極化に伴って、再び増加しているような気配です。在日外国人に向けたヘイトスピーチと一部同根の動機を感じます。カネやモノ、所属、名誉などに生き甲斐や幸せを求める人たちが、それを得られない、或いは、いつか得られるという希望が持てない状況に置かれると、鬱憤晴らしの対象として差別する対象としてスケープゴートを作りたがるという傾向があります。個人でなく組織や国となると、内在する問題が閉塞的状況を打開できず、解決への道が見えない場合、いつの時代も、どこでも外敵を作って内部の気を逸らすという手段を用いてきたように、この傾向を変えるのは非常に難しいと思います。
 なので、考えるのですが、障害者をはじめ弱者に対する福祉サービスは、警察や消防救急と同様に民営化できないモノだと。昔は行政がやっていたことを、どんどん外郭団体や民間企業に委託して来ましたが、この流れがいけないと思うのです。いくら年金や助成金などの公的資金が注入されていても、それだけでは回らず、ビジネスとして経営していかねばなりません。ひとたびビジネスとなれば営利を追求します。警察や消防救急が利益率が悪いから、赤字になるからと仕事をしないのは考えられません。命や自由、人権は売買できないわけですから、福祉サービスはそもそも営利企業に委託できる種類の業務ではないと思うのです。
 需給関係の中で健全な自由競争が働けば、一般的には質が良くなり、低価格になります。中央・地方政府はそこに目を付けての民営化なのでしょう。しかし、障害者をはじめ高齢者やひとり親家庭など支援を必要とする人たちは数多存在しているのですが、当事者やその家族に資力がない場合が多いので、大きな需要は潜在していても経済原理には乗らないのです。
 喰うに困らない社会になると、所謂3K職場には人が来ず、途上国との経済格差を利用して外国人を雇うというのも、この国より先を行っている欧州の国々で明らかです。民間委託して、そこの労働条件が魅力的なモノでなければ、一部の使命感を持った人を除いて、より良い条件の仕事にあぶれた人たちしか来なくなります。人の命を預かり、人権を守るといった大変な仕事が高収入にならないような価値観の社会ならば、NGOやNPO頼りでは限界があり、やはりそれは税金を使って行政が直接やるべきだと思うのです。(しんぼー)
出張は疲れる?
 周囲の人からよく、出張中や出張後に「疲れない?」、「疲れたでしょう?」と労われることが多くなりました。年齢のせいなのでしょうか。しかし、本人は出張中の方が平素より楽なので、いつも答えに窮し、テキトーな言葉を返しています。mybaggage
 これは年齢と関係なく、実は以前からそう思っているのです。まず出張中は一つのことに集中でき、煩雑な思いはせずに済みます。確かに、携帯電話やメールの発達で、受けている場所によってはトンチンカンな連絡が容赦なく入って来る時代にはなりましたが、持参しているノーパソと電話で対処できないことには諦めがつきます。次に、原則三食とも上げ膳据え膳で買い物や調理・洗い物の手間はなく、外食も毎回同じ店ではないので飽きることもありません。荷物や経費を減らすために毎夜手で洗濯するのが出張中の日課にはなっていますが、部屋の掃除やタオルの替え、トイレペや石けんの補充などもホテル側がやってくれます。
 確かに某国へ行った時は、宗教上の理由と気候風土に対してインフラの未整備から、食事は完全なベジタリアンでメニューには選択の余地がほとんどなく、息抜きするにもアルコールは御法度。屋外は埃っぽいのに、シャワーはバケツ一杯の水で済ませなければならなかったり、トイレは道ばただったりと。さすがに、あの出張は疲れなかったと言えば嘘になりますが、「疲れたでしょう?」はそんな極地でなくても、よく言われるのです。
 ホームグラウンドにいると、出張中にはできない、或いは、する必要がない家事のほか、仕事以外の人付き合いや趣味や娯楽があります。それに何と言っても、複数の仕事を上手くバッティングさせないようこなして行くのに疲れます。まぁ今月で定年までキッカリ残り1年となりました。こんなことをほざいているのも、あと少しの間です。(しんぼー)
 
音楽再開の自己弁護
 38年ぶりに本格的?にサックスの練習を再開しました。「昔やってたなら、何か聞かせてよ」と言われた時、そこそこ音が出て、指が回り、1、2曲はサラッと譜面なしで吹けたらという思いからです。a_sax
 近所の貸しスタジオやカラオケボックスへ週2回のペースで通い、1時間ずつ練習にしていますが、長いブランクに鈍ってしまった技術や口の筋力、音感に愕然。それでも、スケールや練習曲をやっていると、少しずつ戻ってきているように感じられ、一方で、楽器に触っていなかった間に様々な音楽を聞いたり、同じ曲を何十何百回と聞き込んだりして肥えた耳?が演奏に反映できるのではないかと思えることが、練習を続ける動機になっています。
 目標を掲げて練習を継続できるよう、バンドのメンバーが揃わなくても演奏できるよう、好きな曲のマイナスワンの制作も、ネットで見つけたプロにお願いしています。実は、コンピューターと音楽ソフトの発達によって、伴奏が短時間、少人数、廉価で作れる時代になったことも、練習再開の一つのキッカケとなっています。
 しかし、音楽は仕事と殆ど関係がなく、周囲には時間や労力を遊びに費やしているように見えていると思います。それでも、管楽器の演奏は身体的には心肺機能を維持向上したり、嚥下を改善したり、心理的にはストレス解消にもなるというのが定説です。なので、ジムでの運動や徒歩通勤と同様に、病気やケガをする確率を下げて健康でいることで、仕事に万全の態勢で臨めるし、と自己弁護しています。(しんぼー)
スポーツ報道に思うこと
 バレーボールのオリンピック出場をかけた日本VSタイが先日あり、去年はサッカーWC予選で日本VSカンボジアの試合がありました。どちらも、日本の辛勝、相手チームの予想以上の健闘でした。しかし、試合内容や記録、生い立ちや環境といった背景に関わらず、日本代表チームや地元球団、人気がある選手だけを大きく取り上げ、民族や地域、国威の発揚を目指す傾向が年々強くなってきています。FIFApass 
 小生も90年代半ばまでは、プロ・社会人・高校野球をはじめ、ラグビーやバレーボール、サッカー、相撲など、また、国体やユニバーシアードなどのスポーツイベントも取材していました。当時はライバル社が主催する大会でも取材したり、人気がない種目やアマチュアの試合ももっと取り上げていたように思います。また一方で、生い立ちや練習環境に恵まれていない選手やチームのハングリーな健闘は探し出してでも報道していたように記憶しています。
 ライフワークで東南アジアをフィールドとしている小生の感覚がずれていることは承知の上ですが、タイやカンボジアなど東南アジア勢がここまで強くなって来たということの方が、日本が彼らに勝ったことより、目新しい大きな変化であり、もっと報道に値するニュースではないでしょうか。
 ただ、ニュースにも政治や経済、国際、家庭、学芸、科学といろいろな分野がありますが、当時からスポーツと芸能には他の分野と異質なモノを感じていました。スポーツ紙とテレビ局はすでにエリアの最大公約数に娯楽を提供するために取材・編集していましたし、その影響を少なからず受けていたからです。ニュースは娯楽のように儲からないという経済原則がベースにありますが、その流れがいよいよ先鋭化し、スポーツ選手や試合、大会の商品化をどんどん推し進め、こんな時代になったのだと思っています。(しんぼー)

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