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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
自主取材が一段落 新事業立ち上げ!
アサヤン企画 ヤフーに掲載した10分弱のリポート『80万を超すロヒンギャ難民 なぜ帰れぬ?』のディレクターズカットを個人サイト『東南アジアの人びと』にアップしました。日本で取材した「民主活動家との対談」を追加し、新たに「ミャンマーとタイのロヒンギャ族を取り巻く状況」も挿入しました。約22分となりましたが、一方で理解しやすくなっていると思います。お時間が許す方は、どうぞご覧になって下さい。
 さて、これで今回の自主取材は一段落ということで、新事業『アサヤン企画』(写真)を立ち上げました。「アサヤン」は若かりしころ働いていた新聞社でのあだ名です。サラリーマン時代は自主取材の経費を主に給料から捻出していましたが、定年退職して以降、インターネット企業からのインセンティブと老人ホーム等でのアルバイトだけでは、自主取材の赤字を補填できません。メディア企業でも硬派のニュースや報道企画は経費ばかりかかり、芸能スポーツをはじめ、お店や商品の紹介、延いては広告特集、テレショップなどで採算を取っています。個人に於いても然りかと。
 ちょうど個人や中小企業も気軽に動画で発信できる時代となった反面、動画の制作は台本、演出、ロケ、編集とそれぞれに知識と技術が求められ、誰でも発信できても、誰でも作れるというわけにはいきません。かといって、映像プロダクションに頼むとディレクターやカメラマン、音声さん、編集マンらの日当、それに事務所経費が積算され、短いモノでも数十万円といった見積もりになってしまいます。
 小生の場合、振り出しがカメラマン、その後、記者やディレクターをし、且つ、低予算に抑えざるを得ない自主取材を何十回と敢行して来ましたので、一人で何役もできます。ということで、今後も自主取材を続けていくために、こうした映像制作のアルバイトを始めようというわけです。宣伝になって恐縮ですが「インターネットに動画は上げたいが、自分では作れない」という方がいらっしゃいましたら、ご紹介宜しくお願い申し上げます。(しんぼー)

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『80万を超すロヒンギャ難民 なぜ帰れぬ?』をYahooにアップ!
バングラデシュ・コックスバザールの難民キャンプで 長引くロヒンギャ問題を今年1月から3月にかけて日本とミャンマー、バングラデシュ、タイに取材し、そのうち日本とバングラデシュでのビデオリポート(写真)を『Yahoo! JAPANクリエイダーズプログラム』の『ショートフィルム』へアップロードしました。現地はビデオカメラを持って入るのがなかなか難しく、且つ、商業ベースには乗りがたい事象なので、動画での報道は多くありません。お時間がある方は、どうぞご覧になって下さい。
 過去2本は『Yahoo! JAPANニュース個人』にアップしましたが、ヤフー側がそのサイトではなく、上記サイトへ10分ほどの短編をとの指示でした。ヤフーでは一寄稿者ですが、テレビ番組もしかり、視聴習慣を得られる前に変更するのは如何なものかと思います。
 ということで、2週間以内に個人サイト『東南アジアの人びと』へミャンマーとタイでの取材も入れたディレクターズカットをアップする予定です。難民を大量に出したミャンマーはもちろん、難民が活路を見いだせたタイと両側から多角的に見ることで、この問題の構造が理解しやすくなるものです。
 今回に限ったことではありませんが、自主取材の大赤字を少しでも埋めるため老人ホームの宿直アルバイトなどに行っているため、取材から戻って編集し、アップするまでには何週間かを要します。ある意味、それは最初から分かっていること。何週間かでは“腐らない”ネタを選んでいますので、ディレクターズカットにもご期待いただければ幸いです。(しんぼー)


ロヒンギャ難民取材 無事終了
Rohingya_camp  1月末の日本国内取材の後、現地と連絡を取りながら準備を進めていたロヒンギャ難民取材でしたが、いまミャンマーとバングラデシュ、タイを回り無事完遂しました。
 恙無く取材できるか最も不安だったのは、バングラデシュの難民キャンプ。報道ビザの申請には所属証明書や出張命令書などが必要なのですが、定年退職者にとってそれは揃えられません。難民キャンプに出入りするパスも携行しなければなりません。結果的に自由に取材して回れたのは、現地の美術クラブが招待状を書いてくれたからです。その美術クラブには人権をテーマに絵画や写真、彫刻、詩などを制作しているアーティストが集っています。小生はジャーナリストであると同時に、芸大卒の日本写真家協会会員であることが功を奏し、クラブ代表者とも意気投合できました。写真はキャンプ内のイスラム学校でコーランを無心に朗誦する少年たちです。
 難民キャンプは国境沿いの起伏の多い広大な赤土の上に、人がやっと擦れ違えるほどの間隔で掘っ建て小屋がどこまでも密集し、80万人を超すロヒンギャの人々が暮らしているのを目の当たりしました。世界各国へ散っているロヒンギャ族を入れると、その数は倍に。30年以上前にタイ国境のカンボジア難民キャンプへ通いましたが、規模も問題の根深さもカンボジア難民を超えています。しかし、国交がなかった当時のカンボジアとは異なり、今のミャンマーとバングラデシュには日本政府が多額の援助を施し、多くの企業が進出しているだけに影響力はある筈です。
 故郷での安全を保障されないまま帰還リストに載せられてキャンプを逃げ出した難民をはじめ、未だ軍政下にありロヒンギャを差別迫害するミャンマー人、そして、第三国で活路を模索するロヒンギャの人たち。今回、両側からそれぞれの立場の人たちに話を聞けました。今から西陽さすチャオプラヤー川へタイのイメージカットを撮りに行き、今夜遅く帰国便に搭乗します。編集はロヒンギャ語の翻訳スーパーなどで2週間ほどかかりますが、立体的で濃いリポートをお届けできそうです。どうぞご期待ください。(しんぼー)
エナガ 近隣でカメラの練習
 小学5年生から触ってきたカメラですが、やはり撮り続けていないと勘が鈍ります。来月前半はライフワークの東南アジア取材に行って来ますが、定年退職して以降、本番だけ撮影しているのでは年に数回。それでは間が空きすぎますので、自宅近くで野鳥を撮り始めました。
 写真は「エナガ」。スズメ目のシジュウカラに似た留鳥で、自宅に隣接した公園にいます。飛び回る小鳥を望遠レンズで捉え、敢えてマニュアルでピントを合わせ、顔が見えて何か面白い仕草をした瞬間にシャッターを切る。なかなか良い練習になります。もう30年以上前のことですが、4000分の1秒という高速シャッターが切れるカメラが世界で初めて発売されたのを機に、瞬間を切り取って見せる企画を担当。コアジサシの海面ダイブを狙ったことを思い出します。
 そこで隔世の感を抱くのは、撮影機材の進歩です。当時は当然フィルムカメラで、高速シャッターを切ろうとすれば、感度を上げなければならないが、増感現像すれば画質が荒れると。なので、ぎりぎりの感度で撮影することになり、レンズの絞りは開放値に。ピントが浅く、腕の見せ所であると同時に泣かされたものでした。ところが、今のデジタルカメラではメニューボタン一つで感度が上げられ、それほど荒れもしません。反応が速いオートフォーカスも付いています。また、フィルムの残コマ数や経費など考える必要もなく、何十カットでも好きなだけ連写できます。
 「何をいつ撮るか」。この判断はフィルム時代から大切なことでしたが、スマートホンでもきれいに撮れるようになった現代では、いよいよそこが最重要ポイントに。よって、来月の自主取材では「ロヒンギャの今」をミャンマーとバングラデシュ、タイで撮ってきます。軍政ビルマ時代から90万を超す人が「無国籍」とされ難民に。去年11月ミャンマー・バングラデシュ両政府は難民帰還に合意しましたが、具体的な方法や期限は何も決まっていません。現地リポート、ご期待ください。(しんぼー)

見えた富士山! 宿直の間隙を縫って出張取材
Mt.Fuji seen from Higashikurume 今年最初のリポートに、長引くロヒンギャ難民問題を取り上げるべく、その1回目の取材として関東へ行って来ました。ビルマ政治の専門家と在日ビルマ人、そして日本に暮らすロヒンギャ難民から三者三様の話を聞くことができました。
 ということで、インタビュー取材が主で、旅モノの制作ではなかったのですが、都内のビジネスホテルで目覚めると、青空の下マウントフジが間近に聳えていたのです。かつて6年ほど東京で仕事をしましたが、こんな好条件で富士山を望めた覚えは殆どありません。当然ですが、三脚を据えて押さえておきました(写真:ビデオからの抜き)。未だリサーチ中ではありますが、ミャンマーとバングラデシュで現地取材を敢行した後、1本のリポートに纏める予定です。よって、日本国内で聞く話の前に、このニッポンを象徴するカットが有効に使えると思っています。
 ところで、今回は高齢者施設での宿直の間隙を縫っての出張。特別養護老人ホームという施設なので、日頃から夜中に救急搬送や亡くなられるお年寄りがいらっしゃいますが、特に冬場はインフルエンザが深刻な問題です。手洗いやマスク、温度湿度の管理、早期治療のほか、面会の制限など対策は講じています。しかし、肝心の職員が平素からぎりぎりの人数でシフトを回しているところへ、職員が施設内外で罹患し多数の欠勤が出ています。その結果、限られた人が過重労働になって抵抗力が弱まり、また罹患しシフトが回らなくなるという非常事態が危惧されます。
 かつて勤めていた新聞社の某支局で法定伝染病が発生し、全ての支局員が隔離病棟に強制入院させられたことがありました。小生は本社からのカバー要員の一人として、ツテも土地勘もない街を走り回って、市内版と県版を何とか埋めたという記憶があります。当時はまだ余力を持たせる経営ができていた時代だったと懐かしんでいてはいけません。医療福祉を筆頭に生命に関わる仕事では、非常時にこそ多忙になるわけですから、いつの時代でも平時の余力は決して余剰人員ではありません。夕方から翌朝まで週1、2回という勤務なので、こうして出張取材にも行け、且つ、最も深刻な社会問題の渦中に身を置けるアルバイト。本業のジャーナリストと両立できているのも、色々ヤリクリして来たことが肥やしになっているのだろうと思っています。(しんぼー)