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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
1年2カ月ぶりの新しい記事
 個人サイト『東南アジアの人々』に、ようやく新しい記事を加えられました。前回の更新、一昨年12月にラオスを取材して以来、1年2カ月ぶりとなってしまいました。それは、定年退職から年金受給までの5年間になかなか見通しがつかず、経済的にというより精神的に不安で、万年赤字のライフワークを再開できずにいたからです。Same as before
 久しぶりの自主取材は自分の原点に戻り、最も多く取材してきたカンボジアにしました。民主主義とは名ばかり、三権は全くと言ってよいほど分立しておらず、長期政権の独裁体制となっています。ポルポト時代の禍根と熱帯の国民性でしょうか。ちなみに、北隣りのタイは軍政下のままですし、東隣りのベトナムはずっと一党独裁の社会主義国ですが、カンボジアより遙かに経済開発が進んでいます。地政学的な条件や一国の歴史上の位置は致し方ないとして、それなりに自国に腰を据えて仕事をする人の割合が、両隣の二国はカンボジアより高いからでしょうか。
 また、遠くカンボジアにいて、逆に日本やアメリカ、中国などの近年の風潮を思わずにはいられませんでした。どこでも経済至上主義のようになり、日々の暮らしさえ安定し、そこそこ喰えていたら、違憲であろうが、モラルが低下していようが、殆どの人が問題としないという。「衣食足りて礼節を知る」ならば、衣食の過不足は一人当たりのGDP?いや、通信や運輸が発達した現代では、格差や二極化が元凶?
 断片的にしか伝わって来ないカンボジアの現状を見聞して来ましたが、運動家の檄文のような記事は書きたいとも思いませんし、書けません。ただ、日本は貿易立国ですし、人口減少が著しくなる中でこの生活を維持して行くには、これまでにない規模と深さの人的交流が不可欠です。そこには『東南アジアの人々』との付き合いも大いに含まれています。ひとり一人が、自分たちの代表が、どう付き合って行けば良いのか。それを考えるための材料になればと思っています。『移植された民主主義は…』をアップしました。ご一読いただければ幸いです。(しんぼー)


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22回目のカンボジア
 社員たちで手が足りている時期には、派遣ディレクターには仕事が付きません。体が二つ三つないとコナセナイ量の仕事を同時に言われたのは、つい先月のこと。その差が極端なのはさておき、小生は「これ幸い」とライフワークの東南アジア取材に来ています。派遣先への手土産代わりに、往路立ち寄ったタイでも、ちょっとした企画取材をしてきましたが…。Phnom Penh in China 
 さて、若い頃は東西冷戦という構図の中でしたが、今は最早アメリカ一強でもなくなり、中国が音を立てて拡張しています。そんななか民主化に逆行するような東南アジアの動向について、欧米の国際メディアこそ注目しているようですが、日本のメディアは全国紙が外信(国際)面でたまに触れているだけです。日本も参加した国連統治下でカンボジアに"移植"された民主主義は、熱帯のこの風土になかなか根付かないようで、色々と考えさせられます。
 記者を現地へあまり出張させず、原稿がそうした扱いになるのは、受け手やスポンサーの需要がその程度で、商業メディアとして採算が取れないからでしょう。現場を踏めなかったり、トンボ返りだったりして、政府発表や伝聞が殆どの短い記事で、実情や内外の温度差を伝えるのは容易ではありません。企業ジャーナリストは安定収入と引き替えに、"売れ筋"の対象しか取材できません。それが多くの人たちの関心や時代に呼応しているわけで、ある意味、ニュースバリューがあるからです。
 小生はそうした難しいことを到底解決できないので、東南アジア取材は万年赤字の趣味として続け、この国での取材も22回目となりました。初めて来た時は、まだ内戦中で政府軍と行動を共にし、腹を壊さない飲み水をはじめ、扇風機どころか照明の電気にも困り、日本へ電報すら届かなかったものでした。あれから31年。今このブログはエアコンの効いた清潔なホテルで打ち、部屋からアップしています。帰国しましたら、また個人サイト『東南アジアの人々』に新しい記事を掲載します。ご期待ください。(しんぼー)

テーマ:国際政治 - ジャンル:政治・経済

公私の狭間で
 今月と来月は東南アジアへ出張続きで、このブログもバンコクのホテルで更新しています。勤務先の仕事なので守秘義務があり、具体的には書けませんが、要は一つの事業を東南アジアの国の人たちと共同でやっています。小生は過去29年間、自主取材のために東南アジアへ通い、その過程で人脈を培い、信用を得ることが出来ました。今それを一気に放出しているような感じです。downtown_bkk 
 破格の低予算で日本のスタンダードに合わせ、期日に間に合わせるという仕事で、間に立って現場で実務を進める身は、文字通り板挟みになっています。気持ち良く仕事をしてもらい、円滑にコトを運ぶためには、立て替えたり、イロを着けたり…。初対面でその場限りならいざ知らず、長年の付き合いがあり、これからも取材などで力を借りたい旧友たちやその友だちだけに、我が身を削るしかありません。
 長年、自主取材のテーマとしてきたことが「南北問題」や「格差」です。その中でいつも思うことは、東南アジアには東南アジアの自然環境に育まれた価値観や、歴史文化に呼応した流儀があり、それを日本などの先進工業国に合わせるか否かは彼らが決めるべきことだと思うのです。しかし、ひとたび共同事業となると、互いに歩み寄るしかありません。且つ、イニシャティブを取っている側がその決断を迫ったり、急かしたりしがちです。
 個人として付き合ってきた東南アジアと、所属企業の一員として付き合うというのは、まさに公私混同。自分の考え方や習慣を変えてまでも、収入を増やしていきたいとは思っていない人たちが少なからずいます。現金収入より大切にしているコトやモノを持っている人たちは、一つの国の中でも大昔から必ず一定の割合でいたと思いますが、国境を跨ぎ異文化ともなれば、さらにその異差が際立ちます。知人友人が間を取り持って窮地に立たされたケースは幾つも見聞きしてきましたが、やはりストレスはかなりのものです。(しんぼー)
ラングーンのホテルから
 “禁酒禁煙”の15日間という入院を終え、ビルマのラングーンにやってきました。昨年11月の選挙結果を受け、民主派政党から大統領が選任されたのを機に、その「民主化」を見に来たのです。というのも、27年来の付き合いがあるビルマ人の親友がラングーンに日本語学校を開くために里帰りしていて、私に「来い、来い」と言っていたからでもあります。さて、どんな取材になるのか。
viewfromhotel 1988年の「血塗りの民主化蜂起」直後から事あるごとに取材してきた小生としては、この節目を見届けておかねばと思ってはいたのですが、なかなか腰が上がらなかったのは、観光と投資を除いては、以前と比べて受け手やメディアに東南アジアに関する興味がほとんどなくなり、インターネット情報で足りているからです。
 今回も記事やビデオリポートが売れる可能性は極めて低く、小生の個人サイトだけでの報道になってしまいそうです。それでも、著作権が自分にある記事や写真、映像で今のビルマを記録しておくことは、小生自身の存立の一部で、しなければならないと位置付けているので、また来てしまったということになります。
 しかし、ちょっと考えてみれば、国内にいても大したことは何もできておらず、まだライフワークの東南アジアに来ている方がマシだと思います。若い頃、欧米を遊学した後にタイやカンボジアに来て、ハッと「自分はアジア人だな」と思ったのがキッカケでしたが、やはり小生には「継続は力なり」しかないようです。では、初日の取材に出かけてきます。(しんぼー)

謹賀新年 ~有馬温泉でカンボジアを思う~
 新年あけましておめでとうございます。本年も当ブログをどうぞ宜しくお願い申し上げます。小生、久々に大晦日から元日にかけて取材が入らず、2016年新年挨拶今年は関西へ帰省し、年老いた母親を有馬温泉(写真)へ初風呂に連れて行くなど、親孝行ができました。
 昨年はある意味、新たな出来事があった年でした。1987年からライフワークとして自主取材で通って来たカンボジアで、初めて勤務先の仕事をするよう命じられたのです。現地の国営テレビ局で勤務先が製作した番組をシリーズ放送し、日本からスポーツ団体を送り込んでイベントを開催するといった事業でした。自主取材はマスメディアが関心を示さない対象だからこそ、休暇と私費で自主的にやってきたと言えます。毎回赤字であっても、他の仕事の報酬で穴埋めして来ました。しかし、ひとたび会社にとっての事業となれば、儲からなくても損はしないようにという命題が課されます。ところが、カンボジアは工場や農業などの労働集約型産業か飲食やホテルなどのサービス業を除いて、まだ所謂“援助ビジネス”しか成立していないのが現状です。
  内戦終結後の再出発はゼロかマイナスからでしたし、それから四半世紀に亘る復興は自力ではなく、全て外国か国際機関の援助によるものだったと言っても過言ではありません。ハード、ソフト共にインフラは整備途上ですし、ポルポトの虐殺政治やその後の混乱は人材や国民性に未だ影を落としています。急成長する近隣諸国と拡がる格差も、自助努力する志気に水を差しているのではと危惧されます。自分の職業や仕事に対して誇りを持っている人が少なかったり、1年後の100ドルより明日の10ドルを取るような人が多いように感じます。それはカンボジア人ひとり一人が怠慢だとか、刹那的な価値観の持ち主だとかといった次元ではなく、まだそう思える社会環境ではないからだと思います。達成感を味わえなかったり、実直な仕事をしても報われず、相応の生活ができなかったりするのです。
 彼らの置かれている状況や気持ちを自分なりに分かっているだけに、あるがままを取材するのではなく、日本側が望む事業を形にするには大変なストレスを感じました。かなり前の当ブログにも一度書いたことがあるカンボジアの親友のことですが、彼は外交官試験に合格しながら、敢えて外交官になりませんでした。「自分の好き嫌いと関係なく、国策に従って人と付き合わなければならなくなるから」と言っていました。小生は自ら企業に属すことを選んでいるわけですから、こうした悩みは付き物なのでしょう。(しんぼー)

 追伸:ホームページ『東南アジアの人々』のURLメールアドレス、固定電話の番号を変えましたので、この場でお知らせしておきます。長年利用してきたプロバイダーが今年3月いっぱいでサービスを廃止するためです。