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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
カンボジア女性からの電話
 今夜8時ごろ、非通知の電話が携帯へかかってきました。「伯母さんが病気で死にそうなんですが、日本人の夫に一目で良いから会いたいと。私は姪で看護婦をしています」。滅茶苦茶な英語でしたが、何とかそんな風に聞き取れ、一生懸命なのはひしひしと伝わってきます。しかし、その看護婦の名前や喋り方に心当たりがありません。けっこう病院も取材して廻ったし、どこの、いつの看護婦さんだろうかと気がかりです。
 その1時間後、日課のゴミ箱チェックをしていると、カンボジアからの見慣れぬメールが引っかかっていました。それを開いて、謎は解けました。HPに掲載している『日本軍の飛行場』という記事に書いた、旧日本軍か軍属の夫、「ハラ」氏と生き別れになったメン・パンさん(80)です。その人の姪からの電話とメールだったのです。確かに、ウドンの自宅でインタビューした際、名刺を手渡してきました。
 ですが、記事に書いた以上のことは、本人も忘れてしまっているようで、残念ながら「ハラ」氏や彼の親戚を捜し出す手がかりは皆無です。せめてもと、プノンペンの友達に電話し、姪にお見舞いを渡しておいてくれと頼みました。
「あの人はもうこの世にはいないと思います。カンボジアも平和になったのですから、もし生きていたら、必ず会いに来てくれている筈です」とメン・パンさんは話していました。でも、死期が近いのを悟り、やはり会いたくなったようです。もうすぐ、二人は60年ぶりの再会を果たすことでしょう、戦争などない極楽浄土と呼ばれる所で。(しんぼー)
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テーマ:カンボジア - ジャンル:海外情報

何が大事?
 何が大事なニュースなのかは、人によって様々です。株をやっている人は産業経済ニュース。アイドルの動向に興味津々、サッカーの試合結果に一喜一憂するファンにとっては、トップは芸能スポーツが良いでしょう。
 世の中で一番大事なものは人命、次に人権ということは普遍の筈です。そして、命に軽重の差がないならば、被害者の数にニュースの大きさは比例すべきです。その観点から言えば、いまの日本は平穏です。
 日本のネコ好きな人は、どこかの国の戦争で何万の死者が出ているというニュースより、街路樹に登って自力で降りられなくなった子猫の救出劇の報道に目が行きます。エネルギーや食糧、労働力などの調達と、日本製品の買い手といった経済では、諸外国と個人の台所が密接に繋がっていても、ひとたび外国の話となると、子猫まで思いやる想像力が一気に働かなくなるようで、無関心になります。
 遠い所の出来事だから? いや、国内の不便なところへ行くより、早く行ける外国もありますし、電話やインターネットで市内のように連絡が取れる外国もあります。
 その国に家族や友人知人がいないから? たぶんこれが無関心の一番の理由でしょう。飛行機事故で何百人死んでも、例の「日本人は乗り合わせていなかったもようです」という報道が物語っています。
 しかし、母国語で難なくコミュニケートできる日本人同士と、お互い不自由な第二言語で話す外国人同士とでも、親友や家族になれる人と巡り会える確率は変わらないように、私は感じるのです。
 命や人権が脅かされているニュースばかりだと、息が詰まってしまうという人は、大前提としてニュースに娯楽性を求めているのか、気が滅入る現実を薄々危惧しているからこそ、最初から知りたくないのでしょう。
 それに、「マスコミ」と言われるよう、商業媒体の対象がマスになれば、当然、多くの人の関心事が重要ニュースになりますし、発信者がマスコミに勤めていれば、特オチして左遷されるのを恐れ、その傾向に輪をかけていきます。
「放って置いても皆が競って報じる話は、放って置いて良いでしょ」。そんな考え方をする私は、この業界に向いていないのかも知れません。(しんぼー)
 
 
 
 

テーマ:国際ニュース - ジャンル:ニュース

冬の日の石焼き芋
「焼き芋を世界中売り歩いて、行った先々の絵を描く」。これが私の子供の頃の夢でした。
 昭和30年代、石焼き芋売りは拡声器の付いたトラックやワゴン車ではなく、決まって枯れた感じのお爺さんが引くリアカーだったような気がします。「絵を描きながら」というのは、実際そんな芋売りを見たことがないので、私の発想だったのでしょう。
 冬空の下、釜の排気で鳴らす笛が聞こえてくると、よく10円玉を握りしめて、駈けて行ったものです。ある日、駆け寄る私を、芋売りのお爺さんは満面の笑顔で抱き上げました。すると、くわえ煙草が私の頭に触れ、「ゴメン、ゴメン」と平謝り。灰の部分が当たっただけで、全然熱くなかったのですが、倍くらいの芋を古新聞に包んでくれたことがありました。
 所詮、子供の夢ですから、焼き芋が国内でも冬場だけのものであることや、世界各国の嗜好に合うかどうかも、そもそも、そんな仕事ではビザが下りないことも度外視です。
 しかし、「絵描きになって、絵を売る」のではなく、「焼き芋を売って、絵を描く」と言っていました。そこが、「絵描きになれば“売り絵”を描かねばならないので、生活費は芋の売り上げで」と、子供なりに悟っていたように思えて、皮肉です。
 中学の頃、興味は絵画から写真に移りました。結局、絵と関係なくはない仕事に就いていますが、“売り絵を描いて”暮らしています。懐かしい笛の音が聞こえてきそうな冬の日、我ながら良い夢を見ていたじゃないかと思い出しています。(しんぼー)

テーマ:マスコミ系 - ジャンル:就職・お仕事

ボツになった企画
 いわゆる「デリヘル」という風俗業で働く女性の企画がボツになりました。
 それなりの人生ドラマを背負っていて、ドキュメンタリー枠に顔出しOKという主人公に辿り着くまでには、時間も手間もかかりました。当然ですが、店は新風営法に則って警察の生活安全課に届け出ている合法ビジネスです。しかし、「カネに困れば、風俗で働いても良いと認めることになるから」という理由で、一瞬にして却下されました。結論ありき。反論は無駄と止めました。
 ところで、その店長は、夫が借金を残して蒸発し、未だ離婚できていない母子や、働かずに暴力を振るう夫から逃れてきた女性たちに同情と理解を示し、彼女たちが仕事に行っている間、幼子を預かり、食事の世話もしています。エアコンも車もクレジットカードも持てなくなるからという面もありますが、彼女たちには誇りというか意地があり、安易に生活保護や自己破産は考えずに、身体を張って生きています。
 男女雇用機会均等などと言いますが、子持ちの中年女性の就職は難しく、最低賃金ぎりぎりの時給では、借金返済どころか、自分たちの生活だけでも成り立ちません。離婚増と所得二極化の陰で、風俗業で働く人は急増しています。一方で、メディアが取り上げなければ、市民権を得られず、アンダーグラウンドになってしまう情報社会でもあります。ちなみに、そんな社会が良いとも思っていませんが…。
 小説や演劇などでは花魁や公娼らを主人公にした数多くの作品がありますが、どうして当企画がボツになったのか、分かるようで分かりません。駆け出しの頃、それなりの年齢になれば、組織内でも自分の意見が通るのではと思っていました。そして、そんな歳になったのですが、年功序列が崩れたのか、リスク管理が厳しくなったからか、やはり出来ません。
 でも、サラリーマンは気楽なものです。この企画がボツになったからと、即オマンマ喰い上げってなことにはなりませんから。逆に、そんなぬるま湯に浸かっているから、良い仕事が出来ないのかも知れません。(しんぼー)

テーマ:TV番組 - ジャンル:テレビ・ラジオ

一級建築士だった亡父
 一連の耐震データ偽造事件のニュースを見て、数年前にガンで死んだ親父のことを思い出しています。彼は一級建築士で現場監督をしていました。
 木造の自宅も自分で設計したのですが、梁には一部鉄骨を使い、柱の間には筋交いを入れたのを自慢していました。築後15年ほどで阪神淡路大地震に襲われ、周囲の家は倒壊したのですが、自宅は無傷に近い状態でした。
 彼は地震前から、マンションや建売住宅を買う知人友人に頼まれ、物件を見に行って、助言していました。一生に一度あるかないかの大きな買い物ですから、医療で知られるようになった「セカンド・オピニオン」を求めてはいかがでしょうか。友達に建築士がいなくても、考えようによっては、謝礼は安いものです。
 もちろん、誰もが誇りをもって自分の仕事をし、許認可・検査機関がしっかりすれば良いのは言うまでもありません。ですが、「まじめに仕事するけど、カネを持ってない人」より、「仕事は良いかげんでも、カネを持っている人」の方が、持て囃されるご時勢です。だからこそ、利害に無関係な第三者の眼が期待されます。
 メディアもその眼である筈なのですが、訴訟を起こされたり、広告主が離れていくことを恐れ、自分たちが告発することはあまりありません。誰かが告発するのを報じる、つまり、被害を訴える人が出てきたり、警察が動くなりして初めて腰を上げるケースが多いと言わざるをえません。
 建築士の資格を持っていたり、建築に詳しいジャーナリストが「危ない建物」なんていう報道をしたら、さすがに暗殺されることはなくても、真綿でクビを絞められるように、仕事を干されて、経済的に抹殺されるのでしょうか。
 今になって、親父が早く引退し、気の合う施主の仕事だけをしていたワケが分かるような気がします。(しんぼー)
 
 

テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース

仕事が趣味○ その逆は×
 メディア業界で26年働き、今ごろ気づきました。遅すぎますね。「好きなことは仕事にしてはダメ」ということが、です。
 なぜなら、好きなことは、採算を度外視してでも、ついついお客さんではなく、自分が納得できるモノを作りたくなるからです。モノを作る仕事でなくても、気がすむまで、トコトンやりたくなるからです。また、自分の仕事に自信があれば、お客さんの嗜好に合わないだけなんて、開き直ることもあります。
 逆に、好きではないことを仕事にしていると、「この値段(報酬)だったら、ここまでにしておこう。お客さんが満足しているのだから、目標達成」と、冷静に割り切れ、確実に収益が出ます。
 でも、その仕事を好きになってしまうと、前者の仲間入りですので、やはり「仕事は仕事」と割り切れることが、黒字を生み出すカギではないかと思うのです。
 プロ・アマ論がありますが、プロ級の技術と、アマチュア精神を併せ持つのが理想ですよね。最初から儲からないと分かっていることに、プロは手を出しませんが、アマなら生業は別にある筈ですから、自分が「やりたいこと」、「すべきと思うこと」をします。
 もう手遅れの観がありますが、好きなことは趣味にしておいて、特に思い入れのない分野や単純労働で生計を立てることに憧れるこの頃です。(しんぼー)

テーマ:仕事論 - ジャンル:就職・お仕事

学校の海外進出
 今やプノンペンともメールで、お互いあまりカネを使わず、即座に通信できます。初めて行った19年前、中央郵便局から試しに送った「モスクワ経由、日本行き」の電報は、東西の狭間に紛れ込んでしまったのか、いまだに届いていません。
 旧友は最近のメールで、「カンボジア初となるメディア系専門学校の開設を情報省が計画しているが、機材と人材を支援してくれる日本の学校やNGOはないだろうか?」と尋ねてきています。取材や編集の技術を教えるのですから、特定政党を支援することにはなりません。
 フィルム式カメラなら使わなくなったものがありますが、カンボジアのような国こそ、一足飛びにデジタルですから、教材としても要らないでしょう。まあ、出来ることと言えば、長年会費を納めているNGOにレコメンデーションを書くぐらいです。
 他方、欧米のカレッジや大学などは、日本ほど急激ではありませんが、早くに少子化の波に洗われ、10校以上がプノンペンに分校を開いています。所得が低いので、授業料も安くないと生徒は集まりません。
 しかし、義務教育もままならず、専門教育などはまだ白紙の状態。拡大しかあり得ない市場です。日本の学校は、経営的リスクが高すぎると、静観しているのでしょうか。
 欧米のように10年先の利益を見て、あるいは、親日家を増やすという平和的な安全保障を考えて、パイオニアになる学校は日本にないのでしょうか。(しんぼー)
 

テーマ:カンボジア - ジャンル:海外情報

室温7°C
 午前1時半、室温摂氏7度。外は2度くらいでしょう。自分でも物好きだと思ったりしますが、部屋ごと暖めようとは思いません。PCの前では、ちゃんちゃんこを着て、足温器。寝床には電気毛布。2個の暖房器を同時に使って、消費電力は150Wほど。
 独り暮らしを良いことに、夏はパンツ一丁、扇風機だけで過ごしました。冷房をONにしたのは、友人が来た3日間くらい。ちなみに、その友達はラングーン出身でしたが、部屋に入るなり「暑いなぁ」と。
 ゴルフはやりませんし、自家用車も持っておらず、どうしても車が必要なときは、タクシーかレンタカーです。普段の移動は公共交通機関か、30年間乗っている自転車。
 他人に勧めたりするつもりは、全然ありません。単に自己満足の世界です。
 理由を敢えて言えば、自分は左派だとは思いませんが、周囲の次のような冷笑が発端になりますか。「左のヤツって、きまって自分は安泰で、高みからの余裕の発言なんだよな。本当に苦労している人の気持ちなんて、分かるはずないよ」。
 もっとも、「苦労している」や「逆境にある」と思うのは、他人と比較して、自分の状況を受け容れられず、もっと便利で快適で贅沢な暮らしを目指しているからこそ、そう思うのでしょうけど。
 また、環境破壊や大量消費、飽食などに疑問を投げかけるジャーナリストでも、片や私生活となると、環境に負担がかかる贅沢な暮らしぶりの人も目の当たりにします。
 多くの人が大量消費すれば、巨大な経済の歯車を動かし、巡り巡って皆を潤すことになるのかも知れません。ですが、資源は有限で、配分での不公平も感じます。
 言動の矛盾をなるべく減らそうと模索していると、今のライフスタイルになったということです。(しんぼー)
 

テーマ:アジア - ジャンル:海外情報

なぜ東南アジア?
 どうして東南アジアを取材するのかと、よく尋ねられます。
 28年前にイギリスで1年間暮らしたことがあり、当たり前のことですが、中学から習ってきた英語でコミュニケートでき、日本が明治時代から取り入れてきた西洋の論理や価値観をベースに話が通じるので、そのころは欧米に親近感を持っていました。しかし、日本のビジネスマンや観光客ならば歓迎されますが、そのどちらでもなく、遊学していた私は、彼らにとって儲けにならない、なまった英語を喋るアジア人であって、少々差別も感じました。
 その後、20年前に初めて東南アジアへ行った時、タイ語もクメール語も簡単な挨拶しか知らないにも関わらず、けっこう込み入った話も通じる英語話者よりも、彼らに何か以心伝心通じる何かを感じ、同時に自分は紛れもなくアジア人だと再認識したわけです。その「何か」を敢えて言葉にすれば、逆境にある時の開き直りや自嘲の笑顔とでも言いましょうか。その笑顔を交わせば、「まぁ、そういうことで、(長い前置きは省略して)、飯でも一緒に喰いましょう」といった雰囲気になることが多いように思います。
 別の角度で「なぜ東南アジアなのか」と言えば、もし私が欧州に生まれていたら、きっとアフリカと中近東、ロシアを、アメリカ合衆国に生まれたなら中南米やアラスカに興味を持ったと思うのです。というのは、父や祖父の時代にそれらの地域へ植民していた宗主国には、誤解や曲解を含めて情報の蓄積があり、特に専門的に勉強していなくても、一般常識として知っていることも多いという地盤があるからです。当然、文化・風俗などの繋がりも濃いものがあります。
 日本人でもアフリカや中近東、中南米を取材・研究するのは希少価値があり、第三者的な眼も持てますし、大変良いことだと思います。しかし、元宗主国のジャーナリストや学者と比べ、前提部分でハンディがあるのは否めません。
 私も生活のための仕事で、日本大使公邸占拠事件が起こっていたペルーへ、トゥパクアマルやセンデロルミノスの取材に行ったことがありますが、アメリカ人ジャーナリストの後追いどころか、またその一部を垣間見るような取材だったと思います。今、これだけ衛星中継やインターネットで情報がやりとりされ、即座に翻訳されて流れ出しています。国内向けに報道する場合、「日本人の視点」という意義はある筈ですが、さて、背景知識や人脈がモノを言う深みとのバランスを見た場合、どうでしょうか。
 ここ数年でも会社の仕事で、門外漢の中国と韓国へ3、4回ずつ取材に行っています。上記の以心伝心に加え、同じ漢字圏で、また、熱帯とは違う、日本と同じ温帯の価値観を共有できていると感じ、心のヒダまで理解できそうな気がしました。しかし、私にとっては“時既に遅し”。また一からやっても、どうにもならないと思っています。
 最後に、「母国、日本の取材はしないの?」に戻りますが、実はルーティンとして日常的にやっています。しかし、私の場合、年に2~4回くらい東南アジアで取材していることで、より日本が見えているように思います。どちらか一方の社会にどっぷり浸かったままでは、全てが当たり前になって何も感じなくなったり、逆に、取るに足らないことが大事に見えたりするようになるのではと思います。
 ということで、私は東南アジアと日本の両方に拘ろうと思っているのです。(しんぼー)
 
 

テーマ:アジア - ジャンル:海外情報

ブログ開設
 ウェッブサイトにも即応性と双方向が求められるようになり、遅ればせながら、ブログを始めた次第です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
 カンボジアPKOが実質、自衛隊初の海外派兵だったこともあり、90年代初頭は東南アジアへの関心が高まりました。しかし、今は日本とのヒッカケを懸命に探し出して取材しても、東南アジアものは、なかなか発表の場もないですね。
 世間の関心は、その後、アフガン、イラク、北朝鮮に移りましたが、私がPKO以前からカンボジアをはじめ、東南アジアを取材していたのと同様に、それぞれの地域を地道にやって来られたジャーナリストがいらっしゃいます。商業メディアは当然、受け手の関心が高い、“売れ筋”のネタを追います。また、メディア企業に雇われていれば、今まで全然やったこともない地域や問題を、社命で取材しなければならないこともあります。
 時々のネタを追っかけていて、ハッと我に返った時、「付け焼き刃で、一体なにをやっているのか」と、何度となく怖さと恥ずかしさに襲われたことがあります。それで、私は敢えて、東南アジアと日本に拘ることにしたのです。といっても、大したことはありません。あくまでも、自分なら、他の地域や分野よりマシということです。
「一般の受け手と同じような無垢な感受性が大切。だから、感覚を研ぎ澄ませ、次々と新たな所や問題へ行けば良い」という考え方があることも、承知の上です。しかし、その論理で行くと、確かに驚きがあって派手になり、ウケは良いかも知れませんが、理解が深まらず、堂々巡りになると思います。一つの地域やテーマでも、現場は常に変化していて、二度と同じ取材はできません。
 そもそも、ここはインターネットという個人が発信できる場です。だからこそ、こんな戯言も書き連ねられ、嬉しく思っています。時間が許すかぎり、レスします。書き込み大歓迎。ざっくばらんに、お話しましょう。(しんぼー)

テーマ:カンボジア - ジャンル:海外情報