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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ベテランの仕事
 フリーランス時代、専門紙の連載を請け負うため、私は7人のジャーナリストとグループを組んでいました。新聞社や出版社を定年や中途で退職した、札幌から福岡からまで各地方に住む人に声をかけました。1回1人で持ちまわっても、一定水準を維持し、全国をカバーできるようにです。
 30歳前後も一人いましたが、平均年齢は50歳、6人は私より先輩でした。みんなルーティンで一通りの経験がある上に、政治経済、歴史文化、芸能スポーツといった得意分野をそれぞれに持っていたので、どんなテーマでもこなせました。事故や病気に備えてストック原稿を常に用意し、紙面に穴を開けることは一度もなく、原稿が薄いといったクレームが付くこともありませんでした。
 なぜこんな10年以上前の話をするかと言えば、心強く思っていた先輩メンバーの年齢に私がなろうとしているからです。いま契約やアルバイトの求人を見ると、まるで差別のように「30歳まで」といった年齢制限があります。社員の割合が減り、かつて社員が占めていたポジションを派遣が務めていることも多くなりました。あんな仕事というか、契約形態を見つけるのは、以前に増して難しそうです。
 会社からの月給と違って、原稿料は年齢と関係ありません。となると、実践で培った取材力や危機管理能力があるベテランの方が、安心して仕事を任せられるというものです。デスクや編集者は自分より年上の記者やカメラマンを使いにくいのでしょうか。発注・編集する側と、取材・執筆する側では、職域が違うのですから、年齢を超えた専門職同士の話ができそうなものです。もし感覚やスタイルが古いから、読者との間にズレが生じるという危惧を抱いているのならば、それこそ少子高齢社会、受け手の高齢化も進んでいる筈で、ズレはないと思うのです。(しんぼー)

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テーマ:ひとりごと - ジャンル:就職・お仕事

休みに自主取材
 カレンダーに予定が入っていない部分を見て、自主取材をするために、代休消化の形で休みを取ることにしました。といっても、公休と合わせて4日間が関の山です。
 自主取材や自主制作は、私的な時間に、100%私費で敢行し、私物の機材を使い、名刺も一個人のものですので、著作権は自分に帰属し、ブログに書け、ホームページにも掲載できます。
 私の少ない経験から思うことですが、広い世界で日本のマスコミの肩書きは、邪魔になることはあっても、功を奏することはあまりありません。マスコミ関係者であることを知られると、たとえ取材編集部門の人間でなくても、官憲や税関に目をつけられたり、“額縁の内側”だけを見せられたり、被取材者にきれいごとで済まされたりします。
 もちろん政府機関の取材や、記者クラブで発表を聞いたり、プレスカードが必要な撮影などには、所属・契約しているメディア企業の“後光”が有効です。しかし、そうした取材で得られることは、個人が取材しなくても、マスコミが競って報道してくれます。
 一方、個人で仕事をすると、いくら正義であっても、後ろ盾がない怖さはあります。しかし、編集者の注文や、スポンサーからの圧力もなく、曲げられることはないという意味で、被取材者に対して責任が持てます。ただ、マスコミで発表する場合は、最悪の場合、ボツにされても構わないという覚悟が要ります。(しんぼー)

テーマ:働き方 - ジャンル:就職・お仕事

アマチュア用カメラ
 他人は他人、その人の考え方があると思っていても、淋しいものです。有名カメラマンに憧れて、その人の作風を真似て撮ったようなアマチュア時代がなく、カメラでは喰えずにアルバイトの方が主収入だった頃もなかった“サラリーマン・カメラマン”とは、カメラマン同士でも、なかなか話が通じないからです。
 元カメラ小僧でもなく、愛好家ほどもカメラを触っていなかった人が、ひとたび就職するとカメラマンへのレールに乗っかったり、いきなりカメラマンになったりすることがあります。そういう人たちは、自分が撮りたいものを撮って、それを投稿したり、コンテストに出したり、マスコミに売り込んだ経験が少ないか、全然ありません。極端な場合は、私物のカメラで撮影したことさえなく、撮影地への旅費、機材のメンテナンスや減価償却なども考えたことがありません。
 たとえ赤字が出ても、自分の不注意から機材を壊しても、天引きされることがない月給制だから当然なのかも知れませんが、旅費をケチったり、アマチュア向け機材を使うことを毛嫌いし、そうするカメラマンを馬鹿にする傾向も見受けられます。
 フリーもサラリーマンも両方経験したことがある私は、高価な機材の良さは分かっても、プロ用を使っているから、楽な旅程だったからと言って、良いものが撮れるとは思いません。(しんぼー)

テーマ:仕事論 - ジャンル:就職・お仕事

サラリーマンの不安
 結局のところ私は何なのか、という不安があります。仕事そのものと仕事絡みが占める時間が、1日12時間・週7日だと、自分が見聞したこと、出会った人というのが、全て仕事上のことになってしまいます。そうすると、秘守義務や著作権の壁があり、何も書けない、出せないということになります。
 近年は勤め先の関係で動画ばかり撮っているのですが、先日、構成上の必要に迫られ、久しぶりに一眼レフでスチル写真を撮影しました。3日連続で朝から晩まで街をほっつき歩いて、百カット以上です。アマチュア時代を入れると30年近く毎日のように撮っていた写真ですので、勘はすぐに戻り、やはり肌に合っているなと再確認しました。
 しかし、その写真も機材は私物ですが、勤務時間内に撮っているので、私に著作権はなく、外に出せません。それ以上に、単独で売るのは難しいのが自明です。もし今、仕事で扱っているようなテーマをスチル写真で撮り、記事を添えて、印刷媒体へ売り込んだとしましょう。話題性や時事性があるので、たぶんどこかが使ってくれるでしょうが、グラビア3ページで、稿料は一番良くて20万円とか。けれど、リサーチから出稿までに、最短1か月はかかっていますし、デジタル化でフィルムや現像代は要らなくなっても、旅費や機材の減価償却は変わりません。
 グラフ誌はもうありませんし、総合や硬派の雑誌も減る一方です。ウェッブサイトや携帯電話に使う写真では、幾らも請求できません。3本くらいのテーマを同時に追えますが、営業の時間も必要です。そして、それが全部採用されたとしても、やはり苦しそうです。だから、私をふくめ多くの人が、サラリーマンに甘んじているのだと思います。(しんぼー)

テーマ:私さがし・仕事探し - ジャンル:就職・お仕事

モヤモヤするわけ
 また3週連続で休みが潰れていますが、モヤモヤしているのは、寝だめできないからでも、遊びに行けないからでもなさそうです。
 やりたいことでは喰えず、あまりしたくないことを生業にしている人は、程度の差こそありますが、かなり多いと思います。そういう状態が、何年も、何十年も続くと、「やりたいこと」は青春の思い出のようになってしまって、いつのまにか「やりたくなかったこと」に順応している自分がいます。もう情けなさを通り越して、嘲うしかありません。
 好きなことは趣味でやるという考えで、ハッキリ仕事と分ける手もありますが、こう仕事に時間を取られてしまうと、その「趣味」に費やす時間がありません。しかし、カネがあれば暇はなく、暇があればカネはないというのが世の常。さらに、子供の手が離れ、年金が受け取れるようになった時には、体力や五感、気力なども歳相応になっています。
 私の場合、フォトジャーナリストという一つの職では生活できなかったため、業界内でのことですが、あれにもこれにも手を染め、その結果、どれもが中途半端で、モノになっていません。世間的にはもう遅すぎるかも知れませんが、早く集中できる状態にならなければと、気持ちだけが焦るこの頃です。(しんぼー)

テーマ:ダメ人間日記 - ジャンル:日記

アイデンティティーって?
 アイデンティティーというものは、周囲に支えられて、あるいは、社会に認められて、初めて存在するものという考えがあります。他者に映る自分の姿を意識して、自分はこういう人間で、ここにいると思えるという意味でしょう。
 もしそうならば、異文化圏へ行ったり、学校や勤務先を変えたり、婚姻や生死で家族構成が変化すると、アイデンティティーも変わるということになります。日本で有名な大学や企業でも、外国へ行けば知られていないことは良くあります。転・退職したり、結・離婚したりすると、人が変わるのでしょうか。確かに「A社のBさん」や、「Cさんの奥さん」ではなくなりますが、別人になる程の変化はない筈です。
「自分探し」をするために、旅に出たり、新しいことをしたり、頭脳や肉体を使って何かにチャレンジしたりする人は少なくありません。ここで言う「自分」は、自分のアイデンティティーなのでしょうか。もしそうならば、「自分」を見つけた時、どんな自分が見つかるのでしょうか。
 これまでに私は色々な文化圏へ行き、最長一年帰国しなかったことがあります。また、国内でも転職と引っ越しを数回経験しました。結婚し、子供もでき、独り暮らしもしました。それでも思うのですが、自分のアイデンティティーというものは、大人になってからは、そういう周囲の環境の変化では変わらないものだな、と。
 自分が思っている自分と、周囲や社会が見ている自分には大きな開きがあります。しかし、それで当然、仕方のないことと。周囲や社会に投影して支える自分は、あまりに脆いように思えます。だから、自分はこういう人間だと演じ続けているのが、私のアイデンティティーであり、その保持法だと思うのです。(しんぼー)

テーマ:自分らしく - ジャンル:心と身体