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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
同業者の出馬に思う
 統一地方選で元新聞記者ら複数のジャーナリストが立候補していましたが、私には彼らの動機が今ひとつ解らないのです。まぁ、昔から与党の国会議員どころか、首相になった人もいるし、メディアも右から左までいろいろあり、企業ジャーナリストには管理職になった途端に保守的になる人も少なくないので、不思議ではないと言えば、それまでです。
 しかし、権力側には人を動かす資金やステータスがあるし、大樹の陰で甘い汁を分けてもらいたくて擦り寄る人も多いわけですから、敢えてそちら側の広報をすることはないし、代弁することもないと思います。彼らは放っておいても、自前で宣伝できたり、情報のコントロールが可能だったりするのですから。
 一方で、ニュースやルポ、ドキュメンタリー、記録・分析、評論などに、興味からだけでなく、色の付いていない情報代として、あるいは、均衡を取るために、間接直接にカネを払ってくれる人もいます。
 民主主義の原則からすれば、ジャーナリストを含め、様々な職業や考えの人が代議士や自治体の長になれば良いのですが、今の日本の社会のように硬直してしまっていては、メディアの人間が宗旨替えする先としては、如何なものかと思うのです。
 しかし、就職の際に、両極に位置するマスコミを掛け持ちで受験したり、公務員や金融、商社、メーカーなどを併願する若者は、私の知る限り、30年前でも珍しくありませんでした。『平和』や『幸福』など、求めるものは同じという前提で、外からの圧力で変わればと思うのと、自ら内部に入って動かそうと思う方法論の違いでしょうか。
 私もこの社会に属しているのですが、そこで暮らしている自分と自己を同一視できず、疎外感を抱いています。同業者の出馬動機が解らない理由は、これだろうと自己分析しています。(しんぼー)
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119は気が引ける
 先週末、胴に激痛が走ったのです。肩や腰ではなく“胴”にです。まるで、腹筋運動を久しぶりに、それも一気に100回やった翌日のように、背中と脇腹とお腹の筋肉が、息をするだけでも痛くて、眠れそうにないのです。
 ジムは原則週一回通っていますが、痛くなったのは、前回ジムで腹筋運動してから5日も経っています。それに、いつもは筋肉痛など起きません。
 十数年前ぎっくり腰をやった時のように、翌朝起き上がれなくなっていたら、どうしようかと不安になりました。救急車を呼ぶほどの緊急性はなさそうです。しかし、夜中に往診してくれるようなかかりつけ医もいません。かといって、介護保険を使うには障害区分判定を受けるなどの手続きが必要ですし、“急性の身体障害者”なので頼めません。10割負担を覚悟しても、ヘルパー派遣会社は一見客へスポット派遣してくれるでしょうか。
 で、上半身が電柱のようになった先週の金曜深夜、どうしたかと言えば、鍼灸院に電話して、マッサージ師を呼んだのです。そして、インドメタシンをチューブ一本使い切って、胴一面に塗ってもらうと、翌朝には痛みが取れていました。
 今回の教訓ですが、普段は健康で、訪問介護や往診などを受けていない人が、休日や夜間に急に動けなくなると、救急車以外に助けを求められる先が、ほとんどないということです。でも、出張マッサージなら気楽に呼べますが、119は躊躇いますよね。(しんぼー)

取材や表現のスタイルについて
「取材の内容や日時が決まったら、上司に報告すること」とか、「リポートはとにかく眼に見えていることを伝え、余計なコメントなど加えるな」と言われることがあります。その会社に属し、給料を貰っている限り、反論などせず、従わねばならないのが結論です。
 しかし、もし私が経営側の人間だったら、記者やディレクターを信頼し、そんな手の内を覗くような制度は作らず、表現スタイルを押しつけるようなことはしません。なぜなら、やる気や創造性を殺ぐことになると思うからです。それに、誰でも取材先とトラブルになるのは嫌ですし、サラリーマン根性としても退職金が貰えなくなるようなマネはしないでしょう。
 企画段階や取材途上でプロセスを明かすと、経営権がない上司でも、自分の保身のために、介入してくる可能性があります。リポートも、よほど強調したいこと以外は、写真や映像とダブって言ったり、書いたりするのは、受け手を舐めた行為だと思います。受け手も「そんなことは、見たら判る。大きなお世話だ!」と苛々することでしょう。
 紙面や放送時間は限られているのです。送り手が伝えたいことに対して、あり余るなんてことはあり得ません。だから、文字や言葉では、絵からは判らないことを伝えるべきだと思うのです。ただ、その媒体が文字や言葉だけの場合は、情景描写が必要なことは言うまでもありません。(しんぼー)
  
コンテンツは良くならない
 いゃー、プロ仕様のアプリケーションを使えるようになろうと思うと、いつもヒーヒー言ってしまいます。写真の処理や動画編集を覚えて数年、今度はDVDオーサリングです。
 講座などもありますが、仕事が不規則なので、なかなか通えず、いつも独習になります。すると、マニュアル通りに行かず試行錯誤を繰り返し、半日単位で時間をパーにして空しい気分になります。
 しかし、そこで投げ出してしまって、結局覚えられなかったということにならないのは、これまで無謀にも、締め切りのある仕事を練習素材としてきたからだと思います。他人に頼まれたわけではなく、自分の仕事の場合でも、自ら締め切りを作って、その期間の最優先事項に位置づけます。そうして一仕事やり終えると、大体そのソフトに関しては自信が着きます。
「自分で撮った写真やビデオを編集して、写真集やDVDにしたいんだけど」とか、よく相談を受けますが、きつくても何曜日の朝までに仕上げるとか自分で条件を課してしないと、「まぁ、いいや」となかなか覚えられず、仕事も速くならないと思います。
 コンピュータソフトというのは一旦覚えると、まるで泳ぎや自転車の乗り方のように、暫く使わなくても、また触れれば、すぐに思い出します。バージョンアップされて細部が変わっても、大体わかるものです。
 だけど、所詮、道具の使い方を覚えるのであって、創造的な行為ではありません。人に頼まず、自分でできる分、安く上げられるようにはなるでしょうが、肝心の中身、今の言葉で言えば、コンテンツが良くなるわけではないのです。(しんぼー)
 

テーマ:ツール - ジャンル:コンピュータ