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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ラングーンへ行かねば
 ビルマでガソリンの5倍という値上げに端を発し、僧侶を中心に反軍政デモが起こり、政府軍はまたもや非暴力の市民に銃口を向けています。
 88年はチャットの新札への強行切り替え(デバリュエーション)が元となり、ゼネストなどに発展しました。90年に民主派が圧勝した総選挙は反故にされたまま、粛正に静まりかえっていたビルマ国内。しかし、今回はそこそこ良い暮らしをしてきた市民も、日常生活を締め上げられ、88年と様相が似てきています。
 当時、タイ国境に溢れ出す難民を取材し、ピリピリと緊迫するラングーンをルポした小生としては、「今こそ!」と浮き足立ちます。20年近く注視してきた事象の節目なのですから、現場に身を投じて記録・報道したいものです。しかし、今夏もビルマ国境を自主取材し、そのために夏期休暇とカネを使ってしまっています。その上、東南アジアとは無関係なルーティンを抱えているので、身動きが取れません。
 バンコク駐在記者たちの任期は普通3年ほどなので、今の駐在を羨ましく思います。というのは、普段は幾ら取材しても、インターネットでしか発表できないビルマ関連ですが、今ならマスメディアにどんどん出稿できるのですから。(しんぼー)
 
 
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テーマ:海外ニュース - ジャンル:ニュース

「もっと泣かせる写真」から始まった
 タイムリーな話題ではないのですが、個人的には今の全てのことに共通しているような気がして、最近考えていることです。
「もっと泣かせる写真はないのか!」と若い頃、新聞社のデスクによく怒鳴られたものでした。ですから、もう30年近く前から、業界が求めるものは同じだったのです。今はニュースやリポート、ドキュメンタリーにおいても、感情に訴える手法が求められています。
 演出が出来不出来を決めるドラマや劇映画などは、それで何も問題ないと思いますが、よく「ニュースが演出過剰になって、ワイドショーやバラエティのようになった」と言われているのは、どうでしょうか。近年は裁判でも、世論を味方に付けるためか、そんな傾向が強くなってきているようです。
 感情に訴え、受け手を共鳴させられたら、それは需要があることなので、古いネタのリメイクでも構わないのが現状です。新しい発見や実験はなく、手練の演出力で見て貰えるものをこしらえるのです。
 しかし、小生は幾つになっても、それが嫌いで、苦手なのです。企画や制作の途上で悩むのは、いつもこの一点です。そもそも現実は、そんなに単純化すると嘘になってしまうほど複雑で、方向性が揃わない混沌としたものに小生は見えます。だから、アンチクライマックスや、答えを与えず突き放すのも、或いは、微視・巨視的に捉えて抽象化するのも、それは手抜きなのではなく、取材すればするほど、真摯に解釈すればするほど、そうなっていくものだと思っています。構成力がないと言われることもありますが、それは原型を留めないほど単純・記号化することが前提なので、綺麗な構成を組み始めるところにも辿り着きません。
 なぜなら、小生が理想とし、目指しているものも、究極は感情の喚起です。しかし、その手法は、物心の客観状況を、それが愚鈍であっても、可能な限りリアルに伝えることによってであって、ダイレクトな感情表現は受け手をバカしているか、僭越な行為のようで、何としても避けたいのです。
 写真でも、映像でも、文章でも、そんなリアリズムは難しく、滅多に成功しませんから、そもそも商業ベースに乗らないのかも知れません。極一部の人しか聴いていないモダンジャズが好きで、みんながカラオケなどで歌うポップスや演歌はここ数年聴こうとも思わないように、商業メディアで働いている限り、小生の葛藤は解消しないと自覚しています。(しんぼー)

テーマ:ノンフィクション - ジャンル:小説・文学

戦勝国と勝ち組
 1か月以上休めなかった土日ですが、運良く来週締切の企画が見つかり、昨日と今日は自主制作モノの編集を進められています。且つ、ブログ更新する精神的余裕も出てきました。
 自衛隊のインド洋給油活動を「対外公約」と続けようとする安倍首相という報道に、「戦勝国と敗戦国」に「勝ち組と負け組」を重ねて考えています。
 そんな二極論で、戦勝国や勝ち組の中で武力や経済力で自己実現しようと思う人たちは、敗戦国や負け組の中に親しくしている家族や友人がいないか、最初から近づこうとしていないからではないでしょうか。
 或いは、少なくとも孫の代までは立場が逆転するようなことはないと思い、逆転しないよう、武力や経済力を使って保身するという循環が見えます。
 一方、敗戦国や負け組の中で戦勝国や勝ち組に擦り寄らない人たちは、防衛や逆転のために抵抗します。 
 テロや犯罪など社会不安は、そうした循環が一方向に拡げるどうしようもない格差から生じると思うのですが、それを再び武力や経済力で抑えようとすることには、脱力感すら覚えます。
 いわゆる工業先進国で「カネやモノに幸福を求めても、キリがないだけでなく、ロクなことはない」と思う人が増えてきたと楽観しはじめた途端に、その社会内で格差が拡げられ、プチブル的な悦楽に浸る勝ち組と、這い上がれそうにもないので自暴自棄になる負け組という構図が炙り出されてきました。
 小生にはマクロでもミクロでも同じように見え、長続きはしない非常に小さな例外に夢を託すしかないかなと考えています。(しんぼー)