プロフィール

しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
大晦日から元日はロケ
 この一年、当ブログとお付き合い頂き、どうも有り難うございました。明日、大晦日から元日にかけては勤務先の仕事ですので、今夜これをアップします。
 小生のような仕事をしていますと、サービス業の方たちと同じく、年末年始だからといって休みとは限りません。年によっては逆に仕事が多かったりもします。若い頃は正月といえば、近鉄花園ラグビー場で高校・社会人の試合を取材していました。ニュースをやっていた頃は、ローテーションで大晦日に宿直し、初詣の取材に行ったことも何度かありました。そして今は、取材対象者が休暇ゆえに動きが出てくるし、また、日本の伝統文化が最も色濃くなるし、この時期を逃すわけにはいかず、取材やロケとなります。
 かと言って、他人が遊んでいる時に仕事をしなくてはならないからと、恨めしく思ったことは一度もありません。ただ、家族や親戚、旧友となかなか会えないのは困ったモノです。親族の不幸ならば外せますが、皆が寄るのでという理由で、取材を止めるという判断は難しいものです。しかし、他の仕事をしている人たちがメディアを通してしか見られないことを、自分の眼で間近に見られるのは、この仕事のうま味とも言えます。
 いま考えていることは、明朝から一家水入らずで正月を過ごす家庭を取材せねばならないのですが、疎まれずに、なるべく自然体を取材させてもらうためには、入るタイミングと引き際が肝心だということ。それに、正月に働かせているスタッフたちのご機嫌取りです。正月九州で最も人出がある地域が現場なので、宿や食事は当てにならず、渋滞を考えると移動も儘なりません。よって、今回は2日間チャーターする11人乗りジャンボタクシーを宿代わりにして、カセットコンロを持参して飲食物を温かく提供しようといったことで、現場責任者の小生は気を揉んでいます。なぜなら、取材先とスタッフ両方の機嫌が良くないことには、気まずい事件取材のようになってしまうからです。
 皆様、どうぞ良いお年を!(しんぼー)

スポンサーサイト

テーマ:仕事の現場 - ジャンル:ビジネス

誰にでもできる仕事
「自分にしか出来ない仕事がある」と思えているうちが華です。確かに、被取材者との信頼関係などがあるので、一つのネタや企画を途中から他人に引き継ぐことは難しい場合もあります。しかし、自分がしなくても、他の人が同じ対象に一から近づくか、或いは、違う対象で及第点はもちろん、自分より良いものを作る可能性も十分にあります。
 やはり、自分がよほど独創的なものを持っていなければ、手堅く、手際良いだけでは、代わりの人は幾らでもいるものです。他人と同じテーマや対象でも、芸術の域に達するような筆力や演出力を持っている人は、それが独創性ということになります。こう考えると、小生のような凡人は自分の存在価値などないと思えてくるのです。また、マスコミの正社員だと晴れがましい仕事も回ってくる上に、年収も悪くないので、小生の現ポジションに就きたい人は、他に大勢いるはずです。自分がどこか余所で喰って行けるのならば、やりたくて仕方ない人に「どうぞ」と譲ってよいとも思います。誰にでも出来ることですから。
 小生にとって独創的と言えるものは、ウェッブサイトに纏めている東南アジアしかありません。一年に最多は5回、少なくても2回取材に通い、来年で21年目になります。このまま身体が動く限り続けて行けば、その地域に関しては深い洞察力と確固としたネットワークが付いて来るはずだと思っています。カンボジア和平以降、小生が取材対象地域を東欧や西アジア、中近東、極東へと変えなかったのも、それでは10年、20年経って、ハッと気付いた時に、結局みんなと同じことをやってきていて、自分の特色を持てていないだろうなと思ったからでした。
 話題性がない地域を、関心を持たれなくなった時期も続けることが、どれだけ大変なのかは、すでに身に染みて分かっています。しかし、だからこそ続ける人が少なく、凡人が独自性を持つには、それしかないと思うのです。(しんぼー)

死刑停止と厳罰化
 死刑停止が国連総会で決議されました。死刑が公平な法律に照らした行為であり、リンチや仇討ちでなくても、人が人を殺すことには賛成できません。もちろん罪を犯した人は反省し、可能な限り償うべきだとは思います。ですから、死刑の代わりに、懲役200年といった厳罰なら賛成します。生きているならば、償い続けられ、もし冤罪と判れば釈放でき、また、倫理観が変遷した時にも対応できます。
 近年の厳罰化を求める空気は、被害者の救済や、周囲の同情からでしょう。極刑が下ると仇がとれたように感じ、溜飲が下がるのでしょうが、そういう心理は怨恨や不和、断絶、抗争に繋がりそうなので、小生は危険な感じがします。それよりも被害者に対する精神的ケアを併せた支援を手厚くする方が得策だと思います。
 窃盗や詐欺、誘拐、傷害、殺人はいつの時代も、どこでも悪いことですが、それがひとたび政府の命令や、体制が良しとする機運のなかでしたことならば、実行犯は罪を問われないばかりか、手柄をあげたと褒められることさえあります。
 払った税に見合うサービスを受けられなかったり、経済的な締め付けという方法を含めて身柄を拘束されたり、操作された情報のもと移住させられたり、財産を没収されたり、そして、兵士や軍属として戦地へ送り込まれたりすること。幾ら合法的であっても、反体制の人にとっては、盗まれた、脅された、殺されたということになります。
 戦争はダメと言う前に、また、科学を否定するつもりは毛頭ありませんが、周産・終末期に関することを含めて、人がしようと思えば出来ることであっても、人がしない方が良いことがあると思うのです。自然や人の手が及ばないことに対する畏れをなくすことは、人が一番求めているものを遠ざけるのではないでしょうか。小生は“神の領域”とも言えそうな最先端を追求するよりも、飢餓をなくし、公衆衛生や教育に力を入れるべきだと、国内外で広がる格差のなか考えています。(しんぼー)

テーマ:死刑 - ジャンル:政治・経済

やはり余剰が要る?
 世界中のモノが手に入るとか、エネルギーを使いまくれるとか、そんなことが良いという価値観は、災いの元だと思います。飢えずに、凍えなければ、後は何とかなると思うのです。小生は国産の旬の食材で栄養もカロリーも足りていますし、80ワットの電気座布団一枚で風邪もひきません。今日の夕食は、白菜としめじ、鶏の笹身を牛乳で煮ました。普段の移動は自転車と公共交通機関、どうしても車が要る時はタクシーかレンタカーで不自由だとは感じません。
 手に入りにくい食材を使った豪華な食事や、新しくて排気量の大きな車が、どうして羨望されるのでしょうか。美味しいし、快適なことは否定しませんが、精神的に後ろめたさを感じ、手放しでは楽しめません。けれど、需要を生み、経済を刺激し、産業経済界からは歓迎されます。そして、それが判り易い経済力の指標であり、有り余る経済力を持つことが良いと思われるからです。しかし、無理して、その欲望を充足させようとすると、格差を広げかねません。また、人心をカネで掴もうとする権力者の思う壺となり、知らないうちに戦争の加担者になってしまいそうな気がします。
 小生がこんなことを言えるのも、子供たちが社会人になり、いよいよの時は自分一人なんとか喰っていければ良いという状態になったからでしょう。それでも、いつも持ち出しになる自主取材を続けていくには、やはり、まだ余剰が必要なのも否めません。(しんぼー)

テーマ:小さな幸せ - ジャンル:心と身体

冷蔵庫が壊れて
 今のアパートへ引っ越して来た10年前に買った冷蔵庫が、まるでブザーのような音を立て始めました。ちょっと調べてみると、コンプレッサーの交換が必要で、出張技術料と部品代で2万円を超すそうです。家電リサイクルが定着したようですが、使える部品を取って、修理に回すなどといったことは、労働力が高い日本ではやっていません。となると、買い替えの方が現実的と、久しぶりに家電売り場へ行きました。
 家電店には地デジ対応の液晶テレビやHDビデオデッキだけでなく、洗濯機や炊飯器といった半世紀前からあるような家電も豪華な新型がズラリ。これらを買うと、日常生活が快適になり、購買欲を満たすことで、一時的に幸せと感じるでしょう。しかし、その方向ではどこまで行っても満足できないと思うのです。なぜなら、第一それに慣れてしまって、すぐにあって当たり前と感じるようになります。次に、一点高級なモノを入れると、照明器具や家具、部屋の内装まで釣り合わないと思うようになります。そして、全て新しいモノに買い替えたとしても、モデルチェンジする度に、また新しいモノが欲しくなったりするでしょう。
 何かに拘らなければ、生き甲斐を得られないものです。しかし、その拘る対象が家電をはじめ、グルメやファッション、車、住宅といったモノだと、キリがないと思うのです。かといって、サービスを対象とすると、労働や気持ちまで時間や度合いで商品化されているので、またキリがなくなります。
 小生がカメラをデジタルに替えたり、PCを導入しているのは、欲しいからではなく、仕方なくです。だから、アパートのテレビはアナログ4:3のままで支障ないので、映らなくなるまで買い替えません。冷蔵庫は結局、安売りしていた在庫処分の130リットルにしました。これでも、引き出し式の冷凍庫が下部に付いている進化型です。
 こうした欲望は貨幣経済の浸透以前も同じだったと思うので、貨幣経済に飲み込まれていると言うのは適当ではありません。サルは知恵や序列はあっても、食糧を蓄えたり、貸し借りしたり、機械を使ったりはしません。やはり、産業経済を起こしたヒトの性なのでしょうか。(しんぼー)

五目ひじき
 最近ダイエットしているので、『五目ひじき』なるものを作りました。でも、6人前くらい出来てしまって、3日間食べ続けました。というのも、ひじき以外に、ニンジン、タケノコ、干し椎茸、こんにゃく、油揚げを入れたのですが、どれも最小単位、ニンジンなど中1本だけなのですが、具が多くて鍋いっぱいになったというわけです。
「このままでは10年以内に人工透析になりますよ」と医師に言われ、始めたダイエット。ポックリ逝けるなら不摂生を続けますが、不自由な体で取材にも行けないのはゾッとします。で、1週間に1キロずつ痩せ、1か月半で7キロ減りました。サプリメントや健康器具を販売されていたり、ダイエット特集を組んでおられる同業者の方たちには悪いですが、特にダイエットのためにはお金をかけていません。粗食を自炊するので、食費は減っています。
 ご飯と麺とパンを食べず、野菜と魚中心の食事にし、一日三杯は飲むコーヒーをブラックにして、牛乳を豆乳に代えただけ。全然ひもじい思いをせず、体重はどんどん減っていきます。要は栄養のバランスを考えながら、摂取カロリーを基礎代謝くらいにしておけば良いわけです。深夜どうしても口が寂しい時は、蒟蒻と大根だけのおでんにするか、味付けモズクをパックごとすすります。
 ベルトの穴が3つ手前になり、昔のズボンが入るようになってきました。ジムでのトレーニングでも身軽になったと実感できます。年を越す頃には、10年前の体重に戻りそう。血圧はきょう初めて下の60代が出ましたし、1月の血液検査も要治療域を下回ることでしょう。こんなに苦しくないものなら、もっと早く始めておけば良かったと、ちょっと後悔しているこの頃です。(しんぼー)

テーマ:ダイエット日記 - ジャンル:ヘルス・ダイエット

具体的に書けるのは自主取材
 なぜブログが抽象的なことばかりになるかと言えば、日常的に見聞きすること、出会う人が、ほとんど勤務先の仕事がらみだからです。たとえ本筋から外れたことでも、移動中に出くわしたことでも、その時間は出勤扱いになっていますし、経費は勤務先から出ているので、企画から自分でしたものでも、著作権は会社に属し、守秘義務もあります。その辺りの倫理に引っかからないように、具体的な名称や日時を使わず、推測を許す事実関係にも触れないようにすると、どうも机上論のようなものになってしまいます。
 勤務先の業務として取材しているものは、会社からその対価として生活するに十分な給料が出ています。だから、安心して手間暇かけられます。しかし、それは公共の電波を持って、既に知名度もある放送局だからであって、もし同じものをメディアに持ち込んでも、サイトにアップしても採算割れするのは明らかです。フリーランスになる前、新聞社に勤めていた時も同じでした。
 外部からの売り込みや持ち込みの方が、フリーランスに対してはボーナスも福利厚生も退職金も不要なのですから、社員以上に払っても良いのではないかと思います。社員とフリー両方を経験してきた小生ですが、ハッキリ言って、社員の方がフリーよりも精神的にも肉体的にも楽です。結局、社員は会社の決めた枠の範囲内で仕事し、著作権まで会社に売っているから、楽をさせてもらえるのでしょうか。その理由は、それくらいしか思い当たりません。
 具体的に書けるのは、勤務先の肩書きを使わずに取材し、素材も著作権も自分のものになる自主取材しかありません。しかし、自主モノは経費すら回収できませんので、なかなか次の取材に行けません。それでも、いつかは採算が取れるようになろうと、もう20年目になりました。(しんぼー)

テーマ:起業・独立への道 - ジャンル:ビジネス

出張帰りに考えたこと
 観光と留学、出張、駐在。これらの目的で海外へ行く資金は、日本での収入や、日本からの送金が前提です。だから「物価が安くて良い国だ」といった勘違いをする人もいます。もし自分がそこで働けば、収入も低いということは、あまり考えたりしません。
 勤務先の海外出張の帰り道、こんなことを考えていました。観光客は異文化を楽しみ、留学は本国で学べないものを学びます。出張は国内に居てはできない契約や事業が目的です。駐在は外国に住んでいても、その国の価値観には染まらず、本国の企業や政府の方針で仕事を進めます。
 しかし、個人的に外国の文化や人間に惚れて、或いは、本国では夢や展望を持てず海外に新天地を求める人もいます。こうした動機で渡航する人たちは、どちらも現地社会に身を投じ、その国を深く理解していくことになります。ところが、先の4つの目的で海外へ行く人たちには、「かぶれている」とか、極端な場合「変な日本人」とか言われがちです。
 企業や行政機関、政党、宗教などへの帰属意識や、団体への忠誠心があまりに強いと、我が身と置き換えて考えるということが困難になります。この自他を分ける溝こそが、誹謗や断絶、争いを市民の連帯で回避しようとする際の障害になっているように思えてなりません。自分の属しているグループで、他の構成員と自分を同一視すれば、安心できます。しかし、そもそも同一にはなり得ず、そこに無理がありそうです。だから、自他共にどこまでも孤独なのだいう現実の再認識が、愚かな言動を避ける方策なのではないかと考えています。(しんぼー)

テーマ:旅の思い出 - ジャンル:旅行