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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
精進料理に思う
 生態系のピラミッドを思い浮かべれば一目瞭然ですが、やはり肉食は環境への負担が大きく、食糧難を招きやすいと言えます。肉食偏重だと、自分の健康にも良くありません。そのうえ、人間の場合、科学的に立証されているかどうか分かりませんが、性欲が増し、好戦的になる傾向はないでしょうか。非暴力なスポーツなどで発散できれば良いのですが、でなければ、短絡視すると肉食は食糧資源争奪に油を注ぎ、紛争へのスパイラルに陥らないでしょうか。
 草食動物も食糧を確保するための縄張りがあり、侵入者を攻撃することはありますが、追い出せばそこまでです。肉食動物のように他者そのものを食い物にはしません。猿ともなれば食糧確保のためだけではなく、優位性を争って喧嘩しますが、殺し合いはしません。しかし、ヒトは殺し合いまでします。ヒトの欲望にはきりがなく、満腹になり、さらに不測の事態を乗り切れる蓄えができても、利殖のため、権力を得るために貯蓄したりします。
 自分は政治家でも兵隊でもなく、そんなことはしていないし、これからもしないと思っていても、一市民としても選挙で誰を選ぶか、行政や法律を市民運動や言論を通じて肯定するか否定するか、納税や教育など国民の義務とされていることに従うか否か、移民するか否かで、関与していることになります。もっと言えば、世界諸国の現状を見ずに、自分だけ労働者として高収入を、消費者として低価格を求め過ぎるのも、不合理なダブルスタンダードを支持することとなり、その不合理を押さえ込んだりするための、いわゆる砲艦外交や植民地政策的なことを後押しすることになります。但し、役人や商人が甘い汁を吸うために、低収入で高価格に我慢することはありません。
 肉食や贅沢志向を止めたからといって、社会や経済が沈滞するとは限りません。もし沈滞するような社会ならば、最初から絶望的な方向へ向かっています。日本に昔からあるベジタリアン食に「精進料理」があります。外国から買い付けるのではなく身近な素材で、飼料にする穀物が沢山要る動物より野菜を中心に、そして、腹八分目。僧や信心深い人たちが平和や福祉を願って精進するのは、現代でもやはり道理に適ったことだと、このごろ改めて思うのです。
 ところで、来週から自主取材に、漠然とこんなことを考えながら、行って来ます。(しんぼー)

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ヤラセ・捏造か、訴訟沙汰
 ニュースでも、ドキュメンタリーでも、無理して面白く作ろうとすると、ヤラセをしたり、でっち上げたりしてしまい、同業他社やタレコミに糾弾される虞があります。或いは、騙し討ちや隠し撮りなど卑怯な取材方法を使って、発表後に被取材者から訴えられたりする危険もあります。
 自分の仕事に自信を持って、周囲を意識した功名心や組織の評価に流されないことが大切です。面白くないものは面白くないという開き直りが必要です。過剰な演出やきわどい取材をすれば、面白くないものも面白くできはします。小生は最初から誰もがお遊びと判っている場では、コテコテに演出したパロディーのようなものを作ってみたいと思っていますが、そういう場では逆に真面目な作りを求められるのが常です。
 敢えて禁じ手を冒す時は、自分のジャーナリスト生命を賭けるほどの理由がある場合だけだと思っています。日々の喰いぶち稼ぎの仕事で、いちいち命賭けの勝負に出ていては、心身が持ちません。自爆せず、この仕事を長く続けていく秘訣は、ここぞというところ以外では、平均点よりちょっと上の凡作を作っていることだと思っています。(しんぼー)

自己満足の世界
 ようやく自主取材のネタが決まり、取材期間も決まりました。勤務先の仕事の間隙を縫っての準備と取材。おまけに日程は現地のカレンダーにも合わせなければなりません。こういう負荷は、出来に悪くこそ影響しても、良くは反映しません。
 しかし、以前と比べると楽になったものです。リサーチはインターネットでかなりの部分が可能になり、現地の友達にロケハンやアポ取りを頼むにもEメールや携帯電話で簡単に連絡でき、航空券はネット予約・決済が当たり前になり、ビザも到着時に空港で取れ、全てが非常に簡便になりました。加えて、フィルムからデジタルになって、機材や材料も格安になりました。
 ですから、撮影や文章が上手い一般旅行者と差を付けるところがなくなってきて、今後ますます着眼点と行動力が大事になってくると思います。着眼点は手垢が着いていないネタか、普遍的なテーマでも斬新な切り口を見つける力。行動力は軽いフットワークや、長期間やり通す思い入れと、その資金を捻出する能力でしょう。
 今回のネタは、まだ実態は殆ど知られていませんが、最初から経費対効果が良くないことが見えているので、大手商業メディアは人を出さないでしょうし、取り上げもしないでしょう。しかし、小生は報せるべき出来事だと思うのです。4月初頭に取材しますが、編集は空き時間に少しずつしか出来ません。よって、サイトなどで発表できるのは、5、6月になってしまいそうです。
 それでも、たぶん小生しかやらない取材だと思いますので、やり甲斐は十分に感じられるのです。そう、完全に自己満足の世界です。(しんぼー)

いないのが一番の貢献?
 日曜日なので、まだ明るいうちに仕事から戻り、久々に自転車の手入れしならがら、こんなことを考えていました。他人に迷惑をかけない生き方を極限まで追求すると、自分がいないのが一番良いということにならないでしょうか。生きている限り、収入や貯えがない時はあっても、いつも必ず消費しなければなりません。生産と消費のバランスが取れていれば良いですが、敢えてバランスを崩してでも価値を作り、その結果、不均衡を招いています。そんな経済から一人スピンアウトすることは不可能です。インドのサドゥー(行者)くらい徹底すれば、現世と殆ど縁を切れるかも知れませんが、日本では実行が難しそうです。「社会に貢献したい」などと言っても、帳尻はマイナスになるかも知れないので、やはり最も間違いのない貢献は「いないこと」ではないでしょうか。
 自分はいない方が良いと言って、「そんなことはない。いないと寂しい」などと引き留めるのは家族や親友の何人かだけでしょう。「あの人がいての私」とか、最愛の人を亡くして「心にぽっかり穴が空いたよう」といった言い回しがありますが、自分の存在を支えている人にはいて欲しいものです。
 しかし、社会にとって必要とされているかという視点では、労働者や納税者といった頭数の一人では、代わりは幾らでもいます。多くの人が欲するようなモノを他人より効率良く、或いは、多くの人が魅力に感じる他人に真似できないモノを作り出せる人は、面識のない人からもいて欲しいと思われます。しかし、特に取り柄のない人は、互いにライバルだったり、いてもいなくても良い存在だったりして、「人が多すぎる」いう場合の「人」の一人と思われているかも知れません。
 欲望をギラギラさせて、より快適な、もっと贅沢な生活をしたいと思っている人が多い社会は、活気があるというより、息苦しいものです。均衡を保っている生態系のように、社会が廻っていくのに適当な数の人がいれば平和なのかとも考えます。しかし、そんなことはないと、すぐに考え直さざるを得ません。腹いっぱいになっても他の動物のように満足しないヒトの場合、そんな競争をしない人や社会は、過当競争から逃れて楽になろうとする人や社会に駆逐されたり、侵略されたりすると思うからです。もう28年乗っている自転車ですが、錆を落とし、ワックスをかけ、油を差しました。まだまだ通勤や買い物に使えそうです。(しんぼー)