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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
好きなスタイル
 とりあえず、企画3本を出し、ノルマ+1本達成です。だから、こうしてブログを書く時間も出て来たわけです。しかし、3本の企画がそれぞれゴーとなりそうで、計6本抱えることになります。先の分の編集が後のロケと重なることが多く、日程調整で悩まされますし、体力的にもキツイのが目に見えます。今どの分を撮っていたのかと、ときどき頭の中で混乱することもあります。
 いつも思うことは、会社の仕事は平均点のちょっと上くらいで、給料泥棒と言われない程度の本数をサラッとやっておこうと。ですが、会社は企画提出を毎クール求め、且つ、より良いものを作れと迫ってきます。
 なかでも最も頭が痛いのはスタイルのこと。小生はネタが初出であることや切り口の面白さ、取材のマメさを重視したく、それが自分のスタイルだと思っています。視点を定めて情報の取捨選択はしないことには形にならないので、しています。しかし、小生の理想は淡々と事実を並べ、その先は受け手に感じ、考えてもらうというものです。また、分かり易くなるからと、複雑な現実を強引に単純化するのも意に反します。しかし、会社は淡々としたり、分かりにくいのはダメ、感動を与えなければ作品ではないと言います。
 ものの見方や感じ方、思うことまで誘導するのは、20代の頃から一番したくないことです。なぜなら、受け手としての自分は、大きなお世話と言いたくなるような、或いは、押し付けがましいものが多すぎると思っているからです。小生のやり方でも、生涯に2、3本は素直に感動を与えるようなものが作れると思いますし、天才でもなければ、それが自然で妥当なところだと思うのです。ところが、会社はそれを量産させようと迫ってきますので、小生はやはりこの業界には向いていないという思いに行き着くのです。(しんぼー) 
 
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テーマ:仕事の現場 - ジャンル:ビジネス

ワークシェアリング
 オンエアーが迫っている番組が2本。1本はクランクアップして既に編集入り。もう1本はロケ大詰めなのですが、予想以上に難航しています。また、放送は先ですが、いま撮っておかないと、後々困るのが3本。
 そこへ今月末締切の新企画が2本。そのうち1本は、以前見つけておいたのを充てるので、企画書にするだけです。しかし、もう1本は、リサーチ中にダメと判り、また一から探さねばならなくなりました。ロケもリサーチも相手次第という部分が大きいのですが、もうあと10日しかありません。
 おまけに、自主取材の方は、滅多にないことなのですが、最新の編集ファイルを開くことができなくなり、このままリカバーできないと、2ケ日分くらいの作業がパーになりそうで、気が滅入ります。
 加えて、こんな時にかぎって歯の詰め物が取れ、歯医者に行く時間も捻出せなばならなくなりました。そして、生活している以上、アパートでの炊事や洗濯、ゴミ捨てなど最低限の家事もせねばなりません。
 会社は利益と給料を維持するために正社員の数を減らし続けています。そのしわ寄せが小生にも来ているのでしょうか。一人当たりの給料を下げれば、ワークシェアリングできると思うのですが、今のところその兆しはありません。二つの体か、1日48時間欲しいところですが、それは無理。そんなわけで、自分の給料から助手か秘書を雇いたいと思っているこのごろです。(しんぼー) 
 
汚い手?
 人と会ったり、誰かが管理する現象や所有するモノを見たりする時、氏名を名乗るのは吝かではありません。ですが、ジャーナリストだとか、勤めているマスコミ企業名を言うのは如何なものかと、これまで何度も思ってきました。記録に残ることや広報されることを意識すると、人は身構えたり、粉飾したりすることが多いので、本来の姿ではなくなるからです。
 ところが、このごろ何でも広報担当部署を通さないと、話を聞けなかったり、写真やビデオを撮れなかったりします。身分を尋ねられず、明かす必要もなく、自然な話や絵が取れても、それを使うと、後で文句を言われることも増えました。それが誤報や捏造でなくても、です。
 アマチュアでも記事や写真、ビデオリポートをメディアに寄稿することはできます。また、プロでもオフなどで構えて取材しない時や、偶然出会した際には、いちいち職業や身分を明かしたりしません。また、話を聞いたり、光景を見た後で、「やはり、これは出さねばならない」と思うこともあります。
 内偵や裏取りなどで身分を明かさず取材したものを出す時には、出す前に確認を取る形で再取材するのが最善だと思います。しかし、そうすると「そんな事実はない」と否定されたり、間接直接に圧力をかけてくることが多く、ならばと、日時や発言者、写真や映像などで裏打ちすると、今度は「汚い手を使って」と非難されます。
 けれども、最初から報道することを前提に取材すると言えば、何でもかんでも、まるでコマーシャルかお知らせのような内容になってしまい、取材する意義が殆どなくなってしまわないでしょうか。(しんぼー)