また、ですが、取材対象者に承諾を得られたからこそ着手したものが、取材途上でその人の気持ちや考えが揺れ始め、二件ほど難航しています。これまでにも何度もあったことで、仕方ないことと、どこかで開き直ってはいます。 それでも、取材相手が動揺すると、まず連絡を取ったり、会ったりすることを避けますから、いくら「報道・ドキュメンタリーなのだから、あるがままを」と言っても、話や写真、映像がなければ、埒が開きません。自主制作ものなら、取材相手のペースで進めるのも可能なのですが、会社の仕事としてやっている場合は、会社と取材先の間で板挟みになります。追い詰められるように感じるのは、日当や経費が出ていて、絶対に穴は空けられないからです。 相手が欲しがっていない、必要としていないモノやサービスを口八丁手八丁で買わせる仕事ではありませんが、ジャーナリストは相手が精神的に立ち入られたくないと思っている部分に踏み込まなければなりません。なかには、寂しくて、誰かに話を聞いて欲しく、「どうぞ、どうぞ、何でも聞いてください」という人もいますが、概して、そうした抵抗のないものは馴れ合いになったり、作る意味のないものです。 かといって、相手の気が変わらぬうちに取材を終え、速攻出してしまうという手もありますが、薄っぺらになる上、その人が有名人でない限り、「で、だから、どうなの?」ということになり、成立しません。 結局、ジャーナリストへの報酬というのは、普通の神経の持ち主ならば嫌悪感を抱いて差し控えるようなことを、身体を張って、臆面もなく推し進めることに対して支払われているんだろうな、と思っています。(しんぼー)
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