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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ネタ探し、万策尽きた?
 明後日からの出張までに、新ネタが見つかりそうにありません。出張中に携帯やメールで関係ない仕事が入ってくるのは、超便利になった通信事情の功罪で致し方ないことです。しかし、遠く離れた所で毎日ロケしながら、会社があるエリアのネタ探しはしたくありません。だから、出張までに見つけるつもりだったのですが、今回はどうやら難しいようです。
 ネタ探しで自分がいつも悶々としているだけに、もし専門学校や大学で「ネタ探しのノウハウ」を教える機会があったら、「こんな検索をしては」と話そうと思っていることがあります。大体、ネタを探す時に、「何を」、「誰を」取材して記事や番組にすれば良いのか、それすら思い浮かばないことが大半です。それが判然としていれば、後は対象を探すだけですから、もう簡単なことです。
 ですから、検索のキーワードに固有名詞を入れるのは最後の段階。では、「何か」、「どんな人か」も判らない段階で入れる言葉というと、見出しに使われそうな修飾句だったり、本文中で筆者が思いを込める時に使う抽象的な漢語だったり、はたまた、それを使うことで話の傾向が限定される動詞といったことになります。さらに、語尾変化は省き語幹だけといった小技を効かすことも大切です。
 データバンクやインターネット検索がなかった時代からやっている方法は、国会図書館など大きな図書館で丸一日、地方紙や全国紙の県版市内版、自治体の広報誌、地域情報紙、同人誌などを片っ端から捲りまくって、その中のベタ記事が案外、糸口やヒントになったりするものです。パソコン検索の場合、便利な反面、任意のキーワードを能動的に入れなければならないことが、図書館での探し方と絶対的に違います。
 何かを専門にしているフリーランス・ジャーナリストなら、自分が持っている問題意識に沿ってネタを探せば良いのですが、一つのメディア企業に勤めている身では、今までに出た、出したネタは避け、バラエティや鮮度も考慮しなければなりません。とはいえ、自分の行動半径と直接会う人は限られています。あの手この手を尽くしてはいるのですが、うぅ~んと唸るばかり、今のところ全然ヒットがありません。(しんぼー)
 
 
 
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夢に見た音楽
 音楽好きの小生は、ナマ楽器を使わずに多重録音したり、プロでもカラオケで歌うのが普通になってしまったことに日頃不満を抱いています。久々の予定が入っていない休みに二度寝したら、とうとうこんな夢を見てしまいました。1時間の音楽番組を作れと言われ、ベテラン歌手をナマのフルオーケストラで歌わせ、公開収録しようと走り回っているのです。ペット、ボーン各4本、5本サックスにピアノ、ギター、ベース、ドラム。そして、ストリングスもある30人ほどの、どんな音も出せるオーケストラです。
 夢なのに、えらく具体的で、カネの話が出てきます。まず予算内で実現するために、アマチュアバンドの練習場へ協力の説得に行き、なんとか話に乗ってもらえました。次に歌手の事務所へ出演交渉とバンドスコアを貸してもらいに行くのですが、スコアはもう残ってないと言われます。で、音大作曲科出のミュージシャンの元へLPレコードを持参し、パート別に譜面を格安で起こしてもらえないかと相談します。
 でも、こうした水面下の準備はもちろん、ナマのオーケストラが付くということは、歌手にも、スタジオに入ってもらう客にも、視聴者にも本番まで秘密にし、「えっ!そんなことできるの」というサプライズにする戦略です。歌手が持って来るカラオケとシンプルな照明で始め、ワンコーラス目の半ばから、ホリゾントの後に控えているオーケストラが演奏しだし、歌手はカラオケからナマに乗り換えることになります。と、同時にホリゾントが上がって雛壇に載ったオーケストラと豪華な舞台美術が現われるという手法です。
 人件費が高騰し、他方でデジタル技術が進歩し、こうした編成はオペラやミュージカル、あるいは紅白歌合戦くらいでしか見られなくなりました。経済的なことを考えなくてよいのならば、その場で一体となるナマに勝るものはありません。やれる機会があるならば、儲けは出なくても、やりたいと思っている歌手やバンドマン、PAさん、美術さん、照明さんは少なくないと思うのですが、やはり夢なのでしょうか。(しんぼー)

なぜ水商売、風俗は除外?
 またネタを出さねばならない時期に差しかかり、水商売や風俗は売り手買い手の双方でこれだけ多くの人が関与しているのに、なぜ除外しなければならないものなのかと考えています。手元の倫理綱領を見ると、「家庭生活を尊重し、これを乱すような思想を肯定的に取り扱わない」、「社会の秩序、良い風俗・習慣を乱すような言動は肯定的に取り扱わない」、「売春・買春は肯定的に取り扱わない」といった条項が、その理由に当たりそうです。こうした倫理観を広めようとするのは、結局のところ中長期的に社会や国を憂ってのことだとは理解できますが、見て見ない振りは良くないと思うのです。
 政府にとっては、外国人に外貨を落とさせるならいざ知らず、国力となる労働力ではなく、きちんと納税する事業者が少なかったり、労使共に非正規雇用を望む結果、無保険・無年金のツケが福祉財政を圧迫したりといった不都合があるのでしょう。また、個人のレベルでは、中学卒でも18歳になれば夜の仕事はできなくはなく、昼働いている大卒より高収入を得られたりします。しかし、経営管理側に転身できなければ、中年以降は続けるのが難しい仕事とも言えます。若さをウリに稼いできた場合、転職先を見つけるのも容易ではありません。それでも、小生は“思うようにならない社会”なのだから、売り手にとっても、買い手にとっても必要な商売だと思っています。
 水商売や風俗で働いていることを隠す人が大半で、兼業やアルバイトも多いため統計には現れません。しかし、物質・拝金主義が根強いまま、コンピュータの普及と工場の海外移転が進んだことから、この業界で働く人は年々右上がりになっている筈だと思うのです。業界に入る前中後と周辺には労働や教育、福祉、公衆衛生などの、そして地域社会の問題が山積しています。市民経済のかなりの部分を占め、今の社会を反映している筈なのに、無視するのは如何なものかと。それだけに、映画や小説のように見たい人だけが見るものではないからという理由で、マスメディアが自主規制している部分も腑に落ちません。(しんぼー) 
 
中立や善意でも
 エチオピアで日本人ボランティア医師が誘拐されたというニュースに考えています。イラク、ビルマ、アフガニスタンなどでも、中立的立場で、或いは、善意で活動していたNGOスタッフやジャーナリストが誘拐されたり、殺害されています。
 内戦状況にあったり、貧困に喘いでいる国や地域では、中立的な存在が煙たがられたり、分け隔てなく善意で接するのが難しかったりします。逃げ出す当てもなく、そこで暮らして行かなければならない人々は、喰うや喰わずだったり、人権や自由がなかったりし、その結果、疑心暗鬼になり、人心が荒み、自暴自棄になっている人も少なくないでしょう。
 小生が紛争地などで気を付けていることは、信頼できる現地の友達を作れない場合は深入りしないということです。いずれにせよ、言葉や宗教、土地勘などで現地の誰かとパートナーを組まないことには活動できません。
 先ずは“高みの見物”と見られることは非常に危険ですので、高級ホテルなどには泊まらず、現地の人と同じものを食べるようにします。そして、そのパートナーには、小生に協力してくれることで危ない目に遇わせるわけですから、持ち金全部叩いてでも出来る限りのことをして、可能なら家族ぐるみで付き合い、死んだり殺される時は一緒という、少なくとも精神的には運命共同体になります。
 そして、彼がダメということはしません。小生の目的や気持ちは重々分かった上で、ギリギリのところまでは、あの手この手で切り抜けた後の、ダメですから。(しんぼー)

テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

高齢者だけのプロダクション
 テレビ、新聞、雑誌といったマスコミ業界でも年齢差別があるようです。20年、30年と記者やディレクター、カメラマンなどをやってきた本人たちは、油が乗ってきて、まだまだこれからが勝負と思っていても、一般的には40代半ば以降は仕事をさせてもらえなかったり、使って貰えない傾向にあります。
 小生はフリーランス時代、札幌と東京、大阪、福岡の計8人と意気投合し「記者集団リバティー」というグループを作って、タブロイド紙の見開き2ページを請け負っていたことがあります。中途、或いは定年で退職した新聞記者3人のほか、ハウツー本のライターやテレビ番組の構成作家、情報誌の元編集長、中国語の翻訳家、それに週刊誌のカメラマンと、それぞれ前職はバラエティーに富んだグループでした。30代半ばの女性が2人、最年長は60代半ばで、平均年齢は40代後半だったと思います。
 印刷された記事や電波に乗った番組は、たとえ署名記事であっても、スタッフロールに氏名が出ても、何歳の人が作っているのかは分かりません。よほど注意して見ていて、使う言葉やテクニックから、もしかして年輩の人が…と想像できる程度でしょう。クオリティーは経験を積んでいる分、間違いありませんし、修羅場を何度となく潜ってきていますから、制作途上で事故があっても、穴を空けるなんてことはありません。
 小生の夢ですが、フリーに戻った時には、高齢社会で受け手も高齢者が多いわけですから、今度は高齢者だけのプロダクションを作って“ベテランの味”で勝負をかけたいなと思っています。(しんぼー)
会社か、個人か
 アメリカで金融法が成立し、75兆円もの公的資金が投入されるというニュースに、こんなことを考えています。会社の仕事だと、赤字になったり、株価が下がっても、経営者や社員はボーナスが減るくらいで、個人的には責任を取りません。会社が倒産しても、公私は別と、会社のために家や車を手放したりしないどころか、被害者意識を持ったりします。しかし、個人事業主やフリーランスの場合は、家計を切り詰め、貯金を取り崩してでも、責任を取ろうとします。
 それは企業の場合、社員はもちろん取締役でも雇われの身だったりして、たとえ愛社精神はあっても、重役会や株主総会を経た連帯責任だという意識で、あくまで会社は自分の人格とは別と考えているからでしょう。一方、個人事業主やフリーランスの場合、やった仕事イコール自分の人格という感覚が強く、道義心からも客や取引先に迷惑をかけないようにと身銭を切ります。
 で、思うのですが、どちらが信用できるでしょうか。企業の場合は破綻しそうになると、銀行や政府が支援することがあります。大口の顧客や納税者で、運命共同体だから当然とも言えます。個人にそんな助けはありませんが、客や取引先に対して悪いという気持ちから、公私の隔てなく出来る限り償おうとするでしょう。なぜなら、前述したように、誰にも責任を転嫁できず、自分自身の信用に関わるからです。
 ところが、政府も企業も、さらには、個人のお客さんも、個人は殆ど相手にしません。一人でやっているなら、どこかの企業に属すか、自分で会社を興して法人化することを取引の前提にされます。結局、上手く行かなかった時に自分の生活には波及して来ない範囲でのゲームにしておきたい人が多いからではないか、と思うのです。
 しかし、大企業も、金融機関も、政府も信用できなくなった時は、個人の信用しかありません。そんな事件が起こってはならないのですが、過去1世紀の間には戦争や政変で全てがチャラになることが、この日本を含め、あちこちの国でありました。(しんぼー)