プロフィール

しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
自分を晒け出せば、高収入?
 表現や発信で喰っている人の話ですが、違法行為やそれギリギリ、或いは、受け手を選ばず自分を偽って媚びるのは別とし、自らのプライバシーを切り売りしない限り、なかなか高収入は得られないようです。要は、それは誰もがやりたくないことで、希少価値があるからだと思います。
 小生のようなジャーナリストも、並の神経を持っていれば聞き難いことを臆面もなく聞いたり、撮られたくない写真や映像を撮ったりして、疎まれることもある因果な商売なのですが、やりたい人が多かったり、自分が報道したい対象を選んだりするせいか、報酬は費用対効果としては、あまり多いとは感じられません。
 その理由は、幾ら困難なことであろうと、やはり第三者や客観情報、匿名、集団、無機的なものといった御身には当たり障りのないネタで報酬を得ようということ自体が、やはり虫が良すぎるからではないかと考えています。つまり、自ら“血”を流さなければ、高収入は得られないようです。例えば、作家や芸能人は、ある意味、プライバシーがありません。というのは、本来は世間に晒されることがない自分の私生活の暗部を敢えて素材やウリにしているからです。
 学生を終えて社会に出る頃から、そういう生き方というか、それを仕事としているのならば、可能かも知れません。しかし、それを人生途中からやろうとすると、所属団体や家庭で問題が起こりかねないので、なかなか出来ることではありません。けれど、途中からの転向の方が、意外性という付加価値が付くことも否めません。
 いみじくも小生がネタ探しをする際も、そういう人を求めているのが皮肉なのですが、自分を晒け出す人が少ないだけに、晒け出せない大多数の人々の間にある共感したいという潜在的欲望というところで需要があり、結果的に高収入が得られているようです。(しんぼー)
スポンサーサイト
社員に専門職は不要?
 小生が社会人になった頃、30年くらい前は、例えば大手広告代理店に社員のコピーライターやデザイナー、カメラマンがいました。今では、そうした専門的な仕事は下請けのプロダクションか外部のフリーランスの人が請け負っていて、ディレクターでさえ外注の傾向にあり、大元の社員がやっている仕事は経営か総務、人事、営業、プロデュースに限られています。今の勤務先の放送局でも然り。かつて勤めていた新聞社では社有車のドライバーや営繕の大工さんまで嘱託社員だったことを思い起こせば、雇用形態に隔世の感を否めません。
 この変遷は、企業が収益の効率にシビアになってきた結果だと思うのです。金銭や人事で嫌な思いもする経営側には関与せず、専門的な分野だけで悩むのは比較的楽とされ、だから、専門職を社員として厚遇する必要はなく、外部の人とでも十分やって行けるということで、現状に至っているのではないでしょうか。こうしたアウトソーシングは、早くから「空洞化」と言われている第一次産業では、もっと顕著なことなのでしょう。
 専門職は職人のように自分の仕事には拘りを持っている人が多いのですが、旬か過ぎると“つぶし”が利かず、かといって管理職には向かない人が少なくありません。一方、総合職で残っている正社員はディレクションやマネージメントの能力だけでなく、経営者や会社と一心同体というような忠誠心が求められ、単に仕事を請け負う外部の人より気苦労が大きいと思います。しかし、その分、外部の人よりも、収入が多かったりします。
 結局、専門職はギラギラした汚れ仕事には荷担せずに、趣味感覚でできるということなのでしょうか。そのせいか、確かに専門職は低賃金でも「やりたい」という人が多く、経営者や会社はそれが好都合なことに気付き、増益の戦略を先鋭化させた結果、社員に専門職が少なくなっているのかと考えています。(しんぼー)

 
 
 

テーマ:人材と組織 - ジャンル:ビジネス

この不況下での援助のあり方
 途上国への援助というのは、ODAや国連機関であれ、民間のボランティア団体であれ、取材対象やサポーターとして長く深く関わってきました。しかし、日本も未曾有の不況下ということで、援助に関して等身大で考えさせられることが最近多々あります。
 二極化はリーマンショック前から言われていたことですが、年収1000万円超えの大企業正社員と、200万円前後の派遣やアルバイトの人たちの間の中間層が少なくなっているようで、日本でも貧富の差が5倍以上に拡がるのではないかと憂慮しています。小生の知人友人のなかにも、派遣を切られたり、アルバイトが見つからなかったりして、電話代が払えないとか、翌月の家賃が落とせないといって、借金や援助を申し込んでくる人がいます。彼らは定収や納税証明などがないので、金融機関の審査も通らないのだと言います。
 しかし、日本の場合、各種年金や生活保護、一人親給付金といった社会福祉制度が機能している上に、今の日本人ならば一度は良い暮らしを謳歌しています。だからか、援助を受ける人の多くが、不動産や車は保持したままだったり、家族親戚がいても敢えて頼っていなかったり、援助金を贅沢品や遊興サービスに使ったりします。つまり、今のところ、これまでの生活水準を落とさないために受ける援助なのであって、途上国の人たちのようにそれを上げるためではないのです。
 この不況はいつ上向くか分からず、長引きそうです。ならば、余計にそうなのですが、援助のキーワードとして良く挙げられる「サステイナブル=持続可能」かということを、ここで改めて確認すべきではないのかと思っています。つまり、援助する側は共倒れせずに援助を続けられ、被援助者は自立への努力が必要です。ところが、職能訓練を受けさえすれば、すべき仕事は山積している途上国とは違い、日本はすでに事務はコンピュータ化され、生産拠点も海外移転されています。なので、求人がある職種は限られていて、選り好みできない状況になっています。このことが「一度良い暮らしを経験した」人たちにとっては、なかなか受け入れがたい事実なのだと思うのです。小生もひとたび現在の勤務先をクビになったり、辞めたりすれば、選択の余地なく、そうした仕事しかないのは自明。それだけに、冒頭記したように、この厳しさを等身大に感じている次第です。(しんぼー)