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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ボーナスの時期
 夏のボーナスは世間の例に漏れず、昨年比-9%ほどでした。そんなボーナスでも懐に入ったことを知ってか、この時期、借金を申し込んでくる友達たちがいます。一人は自営、もう一人は派遣で、銀行や商工ローン、サラリーマン金融にも蹴られるので、小生に言ってくるわけです。こちらも左団扇ではありませんが、小遣いの範囲でならば貸せなくもありません。小生が援助するのは、それで急場を凌ぎ、自立に向けて努力して欲しいと思うからです。
 ところが、実はこの二人、今回が初めてではないのです。加えて、無利子に甘えてか、彼らは返済期日を守らないのです。そもそも、その月のテナント料や生活費まで借りなければならない状態が、一体どういうことなのかということに彼らは気付いておらず、危機感も持っていないようなのです。慢性的に出超で、改善しなければ、債務ばかりが増え、破産へ一直線という緊急事態です。初回借金せざるを得なかった時点で、ホームページを立ち上げたり、ビラを撒いたりして積極的に営業するなり、空いている時間にアルバイトを掛け持ちするなり、ハローワークの職業訓練を受けて仕事を斡旋して貰うなり、配偶者に働いてもらうなり、親戚に泣きつくなり、財産を処分するなり、何なりと財務状態の改善策はあった筈なのです。なのに、以前とやっていることが変わらないのです。
 こういう人たちは、たとえ纏まった金額を貸しても、それがなくなるまで、いや、なくなっても、動き出さないのではないかと思えてきます。少し考えてみれば、信用がなくなるまで何も手を打たず、かといって、タンス預金もして来なかった帰結が今の姿です。厳しい言い方になりますが、彼らは戦乱や自然災害に翻弄されたり、或いは、健保が利かない難病に罹ったり、年金が出ない障害を負ったりして、路頭に迷っているのではありません。彼らの話を聞いていると、就職、脱サラ、起業、結婚、子作り、離婚など全て自分の意思で、大胆とも、無計画とも思える選択してきたので、やはり「自己責任」としか言えません。
 しかし、小生は自分自身が“カネの切れ目は縁の切れ目”で空しい思いをしてきただけに、また、勤務先の高給はこうした低所得者層の犠牲の上に成り立っている構造も見えるので、知人友人からの頼みを無下に断ることも出来かねず、悶々とするこの頃です。(しんぼー)
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何もしてないという感覚
 ヒトとしては二人子供を作って育て上げ、市民としては税金・年金・保険を払い、会社員としてはクビにならない程度の貢献を会社にし、個人としてはウェッブサイトに上げているような仕事をやってきました。
 しかし、ふと未だ何もしていないというような焦燥感に陥ることが年に何回かあります。子供の人数や納税額、やった仕事の量ではなく、種類や質において達成感が持てていないのです。52歳になろうという男が、いまさら自分探しなどしていては遅すぎるのでしょうが、やはり自分が本当はどんなことがしたくて、どんなものを作りたいのか、それがハッキリしないのです。それさえ判れば、気力と体力、時間、カネの使い方も絞れ、効率的に達成感を得られる方向に進めるのでしょうが…。
 厳密に言えば、実は「判らない」というより、やりたいことや作りたいものを自問する際、大前提としてそれにかかる時間やカネを計算してしまい、最初から自己規制していることが分かります。借金すれば資金は用意でき、会社を辞めれば時間もでき、一回、或いは、一時的になら実行できます。しかし、それを敢行したところで、収入にならないどころか経費も回収できず、次に繋がって行かないのが見え見えなのです。
 やはり、宝くじも買わないことには当たらないように、窮地に立つことになるかも知れませんが、思い切ってやってみなければ、明日へ繋がるか否かも判らないものなのでしょう。それでも、目算では分が悪すぎ、最悪は自己破産やホームレスになりますので、なかなか勇気が湧いてきません。ということで、愚にも付かない戯言をこぼしながら、どうでもよいような毎日を繰り返しているわけです。(しんぼー)
 

テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

コンプレックス
 小生が言っているのではなくて、世間では、と前置きしますが、例えば、経済力のない男性や、容姿端麗でない女性が、何か先鋭的な主張をしたり、生き方をすると、単に僻んでいると見られ、その主張や生き方そのものは見てもらえず、揶揄の対象にさえされてしまいがちです。
 優越感と劣等感の間で悲喜を感じるのは卑しいと思うのですが、テレビ番組や読み物でも、ウケを狙って、人間のそうした卑しい感覚をくすぐろうとしているものが多々あります。
 しかし、何かに於いて成功した人の起爆剤となったのは、そうしたコンプレックスであり、それを克服・解消するために努力した結果、難行苦行を成し遂げられるということもあります。また、法律に触れないまでも、何か反道徳的なことをして、罪悪感を抱き、その免罪符を探し求めることを原動力にしている人も沢山います。自暴自棄になって、やる気も失せてしまうほど打ちのめされてはいけませんが、罪悪感やコンプレックスは感じる方が何かに頑張れる動機になるとも言えます。
 この頃また「今まで何をしていたんだろう?結局、まだ何もしていない」といった焦燥感がぶり返してきた小生は、こんなことを考えているのですが、自分を発憤させたり、鼓舞しようと、意図的にこの力学を利用してもダメなようです。予期せぬ何かにブチ当たるか、知らないうちに感じるようになっていなければ、テコになりません。(しんぼー)
 
男女間に「純愛」はある?
 勤務先の出張で来ていますので、具体的なことは書けないのですが、東アジアのとある国で考え事をしています。「男女の間に純愛はあり得るのだろうか」と、今更気恥ずかしくなるようなことなのですが、今回はそんな疑問を増幅させるような取材なので、夜ホテルに戻ると、どうしても考え込んでしまいます。
 先進工業国で男女平等といっても、男性は子供を産めず、女性は産めることに変わりありません。法律的には人権が保障されていても、当の男女の大半が双方から平等を望まず、男女それぞれ家庭や社会での役割を分担し、その結果、男女で就職や賃金に格差があるのは否めません。具体例を挙げれば、女性の総合職の枠は小さく、男性と対等に正社員になった女性も、結婚、出産後は残業や転勤などが難しくなり、辞める人も少なくありません。子供の手が離れたり、独身に戻って再びフルタイムで働こうとしても、20代でもないかぎり再就職は難しいものです。よしんば、新たに資格やスキルを身に付けても、特に女性の場合、雇用者が年輩の人を欲しがらないのが現実です。
 だからか、結婚を前提にしようが、しまいが、男女が付き合う際に、男性の経済力を見ない女性は殆どいないように思うのです。年収何千万円とか、土地などの財産があるといったことは望まなくても、一緒に生活していけるか、二人で遊ぶカネがあることが前提条件になっていて、カネが切れれば“縁の切れ目”となり、カネがなければ始まらないのではないでしょうか。男女双方に独占欲や嫉妬心があり、一夫一婦制が浸透していることから、やはり、背に腹替えられない事情が優先しているように感じるのです。では、経済的に自立している男女だと「純愛」は可能かといえば、お互い気の向くまま自由に行動できるだけに、ラブラブ期間が過ぎて所謂倦怠期に入ると、仲が持たないのではないかと思うのです。
 ということで、「純愛」は、男女どちらかがどちらかに経済的に依存している関係では打算や妥協することで続くようですが、そうした依存関係にあれば、それは最初から不純ではないでしょうか。一方、自立している者同士だと打算妥協はない代わりに短期間で関係は解消してしまうように思え、やはり純愛は非常に難しく、希有なものだと考えています。(しんぼー)
  

     
仕事でやること、趣味ですること
 前ブログの新型インフルエンザについても、熱しやすく冷めやすい“一点豪華主義”。そうした報道スタイルも一つですが、ゴールデンに毎週のように出せるとか、一回の興行に何千、何万人を集められるというのは、商売としては大成功です。しかし、それは曲げて迎合した結果ではないかと思うのです。成功させたプロデューサーやディレクターは、最初から確信的に大衆を捉えようと綿密なマーケティング・リサーチをして、企画を練り上げたからだと思っていることでしょう。
 今日こんなことを書くのは、村上春樹氏の新作が発売と同時に4刷、68万部とかというニュースに色々と考えていたからです。まぁ、人気小説家の書籍で、全国の数字ですから、本当のファンが買ってのことだと思います。しかし、小生ごときがやっている仕事は、娯楽と報道・ドキュメンタリーが同じ一つのメディアで扱われています。娯楽と切り離して、単独では採算が合わないからでしょうが、タレントを使ったり、過剰に演出したり、俗ウケするテーマを繰り返し選んだりして、娯楽と報道・ドキュメンタリーの融合を図ろうとする動きは昔からあります。
 人口1億2千万人ほどの日本で、カネを払って見てもらえるものは数万、無料でも100万くらいが“率直な仕事”をしていての適正な数字ではないかと小生は思うのです。「そんなのでは、君のギャラ、給料は出せないんだよ!」というプロデューサーやスポンサーの罵声が聞こえて来そうですが、ならば、やはり、この自由経済の下では“率直な仕事”は職業として殆ど成立しないということになります。
 小生がいつも羨望の眼差しを向けているのは、個人としてプライベートな時間に温泉グルメやバラエティーを楽しめ、野球やサッカー、それに恋愛ドラマなどに興じられる人たちです。決して他意なく正直に言って、彼らはこのマスコミ業界で仕事し易いだろうなと。それと逆の小生は、自分が満足できるものと、上司やスポンサーを満足させられるものとは、ハッキリと作り分けて行かねばならないと改めて考えています。(しんぼー)
 
 

テーマ:ドキュメンタリー - ジャンル:テレビ・ラジオ