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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
経費節減の苦痛
 昨秋のリーマンショック以降、勤務先でも経費削減の傾向は顕著で、具体的には自社制作枠や番組制作予算が減らされています。それで小生としては次のようなことを実行しています。①カメラマンや音声、アシスタント、CGデザイナー、リサーチャー、AD、編集マンらを頼まず、自分が出来ることは自分でする、②タクシーやレンタカーをひかえて公共交通機関を使うか、5キロ位までなら自転車で移動する、③取材相手の接待費を自分で持つ。当然その分、気を使い、体力を消耗し、時間のやりくりが難しくなり、金銭的には持ち出しが多くなっています。
 ここで思うのですが、たとえ少人数で作った番組に遜色がなくても、会社の経常利益に貢献しているのだろうかと。元よりドキュメンタリーや報道は儲かっていなかった枠で、広告の本数や売り上げがガクンと落ちているのは全体的なことなので、焼け石に水という感じが拭えないのです。また、本数こそ減っていますが、依然として①、②、③とも実行せず、従来通りの制作スタイルを取っているプロデューサやディレクターもいます。
 例えば、ネットの1時間モノ以上など予算が潤沢にあるものと、大人数で分業せざるを得ないナマ中継や撮って直ぐに出すものを除いては、こうした経済状況ならばテレビ番組も新聞雑誌の記事のように少人数で企画から仕上げまでするといった慣習を早く定着させて欲しいものです。
 というのも、デジタル化で機材は軽量・安価になっていて、物理的には倹約することが可能な時代となっています。しかし、今は過渡期だからでしょうが、どのくらい節減するかが曖昧で、節約して限られた予算内に納めることよりも、その加減で気を揉むことの方が苦痛だからです。(しんぼー)
 
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ゲンキンな世の中
 不景気ゆえでしょうが、飲み食いやプレゼント、或いは現ナマが絡まない人付き合いは,この国にはないのかと思うような昨今です。そんなゲンキンな人間関係ばかりだと人生空しくなるのは間違いないので、そうしている人たちもきっとカネ絡みでない付き合いを他所でキープしているのだろうと思います。
 となると、小生は見返りがなければ付き合う価値のない人間ということになります。まぁ、興味のあることは「東南アジアと日本の南北問題」、テレビ局に勤めていながら視聴率が高い番組は全然面白いと思わない天の邪鬼、好きな本や音楽のテイストもかなり少数派の部類ですから、仕方がないと自覚はしています。それでも、この不況になってからは営業でなければ声がかからないという傾向が著しくなって来ました。
 日々の生活が苦しい途上国では文化芸術などに興味を示す人は少なく、受け身で楽しめる、或いは、単純な娯楽が持て囃されます。しかし、そうした国の人間関係は必ずしも荒んでおらず、隣近所や地域でカネ抜きの付き合いがあったりして、今の日本社会のように世知辛くはありません。一度繁栄を経験し、それに未練たっぷりだからなのでしょうか。こんな時代だからこそ、開き直って人付き合いすれば良いのにとなぁと、小生は思っています。(しんぼー)
自主取材の進捗状況
 東南アジアへ先月行って来た自主取材ですが、ようやく「OKテイク抜き」という編集作業が済みました。インタビューや映像などの使える部分を切り出すという工程です。ある程度は順序も入れ替えながらやりましたが、これから大鉈を振って削り、構成して行くという流れです。こんな悠長な編集が出来るのは、勤務先と関係のない自主制作モノで、テーマや対象も最初から採算度外視の企画だからです。
 時間と経費に制限がある仕事、つまり早く安く上げて利益を出すものならば、現地入りする前に構成を考えておき、それにはめ込むような取材をします。予期せぬ面白いものに遭遇しても無視するくらい、当初の台本にないものは取材しません。こういうヤッツケ仕事でも、慣れてくると、受け手を裏切らない、そこそこのモノが出来るようにはなります。
 確かに効率は良いのですが、日頃そんな作り方をして(させられて)、常に欲求不満というか、違和感を持っているので、私費と休暇を費やして敢行する自主制作くらい、好きなやり方でやっている次第です。しかし、売れるネタや原稿、リポートというのは、勤務先で実証されているように、小生は興味を持たないネタで、且つ、取材する前から“お約束”の予定帰結に持って行けるものです。
 今回の自主取材も広く報せたい内容だけに、そこにジレンマを感じています。それでも、こうしたテーマに興味を持って下さる人たちは、そもそも今のメディアに辟易されている少数派なので、ウケを狙う手法を使ってもナンセンスです。ということで、今夜も1時間余り勝って気ままな編集を進めた次第です。(しんぼー)

自由な生き方の代償
 この不景気な世の中を見渡すと、結婚したいのに出来ない若者や中年、困窮するひとり親家庭や経済的理由で進学できない子供、孤独死しかねない独居老人たち。身近なところで何件もの家族崩壊を目の当たりにします。このままでは個人は不満を鬱屈させ、地域や国の活力が低下していきます。だから、新政権の執政の焦点にもなっています。
 家賃や光熱費、水道代、食費などの生活費は、一人より二人以上の家族で暮らす方が割安です。また、男女関係でも介護でも情愛を売るようなサービスは高額で刹那的。こんな大前提を無視し「カネのない奴は結婚しないでよい」などと失言したのは政権末期の首相でした。でもあの時、かなり多くの市民も同様に考えているのではないかと思ったのは小生だけでしょうか。つまり、なかなか結婚せず子供を設けない人と、既に子供がいても離婚する人は、一人暮らしや、一人で子育てする方が楽だと思ってのことなのだろうかと疑問に思うのです。
 だからといって、文革時代の中国やカンボジアのポト政権などのように、政府が結婚させたり、離婚を禁じたり、子供を親から引き離して国が育てるなんていう人権以前、人間無視の暴挙は論外です。辛うじて可能かも知れないのは、男女間の社会・経済的優劣をなくし、離婚しても父母は子供の養育義務を果たすことだと思います。前者は教育や法に於いて男女平等が実現しているのに、大人になって出た社会は旧来のジェンダーに囚われているという歪みこそが様々な問題を引き起こしているように見えるからです。後者は、言うまでもなく子供は親を選べないからであり、また、公的支援を受ける人と税金や年金を払ってだけいる人の間に不平等感や差別意識を生じさせないことが重要だと思うからです。
 男女や夫婦、家族のあり方に於いて宗教倫理に基づく因習や制度から解放され、個人が自由に生きられるようになった豊かな日本。その帰結とも言える弊害なのですが、男女共に欲望に逆行する方策にはNOと言うでしょう。以前からあった「自由の代償」を、今その豊かな時代が峠を越したために、急に大きく感じるようになってきただけかなとも思っています。(しんぼー)
とりあえず、家事で息抜き
 先日の自主取材の編集が、ゆっくりとしか進んでいません。その理由を自己分析すると、(1)まとまった時間を捻出するのが難しいから、(2)内容こそ違っても、作業としては勤務先でやっていることと同じで、給料を貰っている手前、勤務先の仕事を優先し、すでに集中力が擦り切れぎみだから、(3)早急に出さないと腐るネタではないから、といったところです。
 ロケや編集、会議など勤務先の仕事をこなし、アパートでの家事一式を済ませると、なんだか仕事や用事は十分にやったような感じがして、疲労感だけが残っているのです。気分転換にはときどき映画を観に行ったりしますが、温泉でのんびりする程の余裕はありません。ホステスやキャバ嬢の餌食になりに夜の街へ行くのもつまらないと思います。
 専業主婦(夫)の方には悪いですが、料理を創意工夫したり、インテリアに凝ったりしない限り、家事は単純作業で、創造的でもないし、生産的でもありません。しかし、収入に繋がらなくても、たとえ料理やインテリアを評する同居人がいない一人暮らしであっても、暮らしを維持するためにやらなくてはならないことです。だから、小難しくはないけれど、する必要がある掃除洗濯炊事などが、現在の気分転換になっているようです。
 家政婦を雇ってその分、時間を作るという手がありますが、では、その時間を仕事ばかりに費やす気力があるかと自問すると、ちょっと自信がありません。家事で息抜きできなくなると、取り立ててレジャーに興じなくてはならなくなり、家政婦への支払いと二重にカネのかかるようなことになるので、このままがマシなのではと考えています。しかし、どうしたら若い頃のように根を詰めて仕事できるようになるのか、それが目下の課題です。(しんぼー)

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記