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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
この時期、毎年の焦燥感
 2009年も暮れ行こうとしています。毎年のことながら「あぁ、今年も何もしなかったな、出来なかったな」という焦燥に駆られています。勤務先ではそれなりに働き、数本のドキュメンタリー番組も作りました。しかし、それは商業的な意味を含めて放送できるという範囲内で、且つ、プロデューサーやスポンサーの顔色を窺ったものです。なので、小生の仕事のようで、小生の仕事ではないのです。言うまでもなく、著作権も小生にはありません。
 やはり、こんな後悔をしなくても良い年末というのは、フォトジャーナリスト個人として納得いく取材ができ、それなりの反響があった時です。叶えぬうちに身体が動かなくなってしまうかも知れませんが、これからもそれを目指します。でないと、「自分は何者?誰?」という、自己存立に関わることだからです。
 来年の自主取材も、1本目は既に現地の友達と連絡を取りながら、リサーチを始めています。勤務先のメディア企業では端から採用になりそうにない企画なのですが、だからこそ小生は自主的に取材・報道しなくてはと思うのです。逆に言えば、日本のメディア企業は少々色の違いはあっても、受け手が同じだからでもありますが、興味の対象は横並びです。小生が勤めている放送局が食指を動かす企画やネタは、同時に他局、他社も欲しがるので、そういうものは誰か他の人が確実にやりますので、小生としては放って置いて良いと思うわけです。
 渋い雑誌や衛星放送枠も殆どなくなってしまった今、インターネットの個人サイトYouTubeでの発表になるのですが、文字数や尺の制限もなく、いつまでも載せておけ、さらに世界中からアクセスできるわけですから、小生の目的には適していると言えます。ただし、実費すら回収できないので、ぐちぐち言いながらもメディア企業のサラリーマンを辞められないということになっています。こんな愚痴ばかりたれておりますが、今年のご愛読、どうも有り難うございました。来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。皆様、良いお年を!(しんぼー)
 
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ドキュメンタリーを作って
 年末恒例のことですが、勤務先で1時間枠のドキュメンタリー番組を作りました。小生のスタイルというか、不況で削られた番組予算で作る場合、主人公は市井の人で、ロケ地はその人の行動半径といった近場になります。これで詰まらないものにならぬようにするには、時間をかけるしかありません。しかし、一週間べったり24時間密着したとしても、ドラマチックな展開など期待できません。加えて、相手の日常生活やプライバシーに支障を来すことになるので、そういった方法を取ることは殆どありません。なので、事ある毎に、事が起こりそうな時期を見計らって、何度も取材を積み重ねるのが常道です。
 しかし、会社にとって、そんな制作方法を取るディレクターを雇っているのは、効果対経費が悪いはずです。結果が出るまでに時間がかかる上に、その結果も地味なことが多々あるからです。故に、全国を見渡してみると、ドキュメンタリーはプロダクションに外注したり、フリーランスの持ち込みを期待している会社がすでに大半となっています。小生もフリーランス時代、フォトジャーナリスト個人として、或いはプロダクションを通して番組を作った経験があります。会社としては、番組単位で人を使え、枠がなければ仕事を依頼することもなく、先行投資のリスクも軽減するわけで、不況下にこの傾向が強まるのは当然のことでしょう。
 出版社がライターや作家を社員にしないように、いよいよ放送局もドキュメンタリーに於いては正社員をディレクターにせず、正社員のディレクターを置かなくなるのではと思っています。そうなると、生活不安が先立ち、どうしても主張したいことがあり、よほどガッツのある人しかドキュメンタリー番組を作らなくなるだろうと危惧しています。(しんぼー)
偏食に思う
 会食する機会が増す12月、このごろ偏食する人が多いなと感じています。アレルギー体質や宗教的な理由でもなく、特定の魚介類や野菜などを嫌う人。また、料理法や味付けからどこどこ料理は口に合わないという人。
 様々な料理がありますが、それらはそれぞれ美味しく食べ続けられて来たからこそ今日に残っているわけで、小生もそれぞれ美味しいと感じ、嫌いなものが殆どありません。食べ物は食べる場所の気候風土に合っているものが、対コスト的にも一番美味しい筈です。他方、わざわざ日本で食べる外国料理は、異文化を楽しむ娯楽だと認めます。
 しかし、冬を迎えた日本に住んでいて、牡蠣や河豚、冬野菜などが端から嫌いと言う人たち、或いは、ファストフードやコンビニ弁当、レトルト食品の画一的な味を好み、個性ある外国料理や純粋な日本料理はダメという人たちが、なぜか小生の周りには多いのです。ということで、どんなレストランへ招けばよいのか、どんな手料理を作れば良いのかと悩むことになります。豚を食べないムスリムや、菜食主義のヒンズー教徒の人たちと、彼らが食べられる美味しい食事を一緒にしている方が、ずっと楽しく感じられるのは、小生の偏見なのでしょうか。
 偏食する人たちは、たぶん親が偏食家で幼少の頃、家庭で色々な味や食感に親しむ機会がなかったり、通った保育所や小学校が「食育」をやっていなかったり、若い頃に国内で食べ歩きなどせず、旅先で現地のものを積極的に食べてみたりもしなかった人たちなのだろうと思います。そんな人たちは、たぶん短期の旅行でも即席味噌汁や梅干しを携行したり、どこの国へ行っても割高な日本料理店や、同じ味のファストフード店にわざわざ入ったりします。嫌いな食べ物がない小生は、日本世界の各地に、季節ごとの美味しいものが無限にあるだけに、そうした人たちを可哀相だと思っています。(しんぼー)

テーマ:おいしく食べてダイエット - ジャンル:ヘルス・ダイエット

サラリーマンの処世術
「まっ、給料が出ているんだから、良いじゃないか」。こう思うのが、サラリーマンの処世術だと思います。命令され、暫く経ってから仕様の変更を言い渡されたりすると、二度手間になる上に、次の仕事にも障ります。また、裁量権のある人が、裁量される側の一人でもあったりすると、三権分立じゃありませんが、公正は保たれているのかという疑問が湧いてきます。出入りのフリーランスや業者の立場で、増えた作業を請求書に上積みできるのならば、幾ら変更してもらってもケッコウなこと。公正でなさそうでマトモに付き合うとバカを見そうならば、そんな取引先は疎遠にすれば良いことです。しかし、会社員には選択の余地がなく、冒頭のような考え方になるのです。
 しかし、士気を維持するのは、さすがに難しくなります。おかしなことに目を瞑って、淡々とこなすという忍耐に対して別途手当が出るなら別ですが、そんなことはあり得ません。さらに悪いことには、理不尽なことを断行するには、自分の信用をなくしたくなければ、とてもカネがかかるという社会の常識が、社内の馴れ合いで、常識ではなくなってしまっているのです。
 こう思うのも、小生には転職したり、個人事業主をやった経験があるからだと思います。ずっと一つの企業に勤めていたなら、そんな馴れ合いが当たり前になってしまいます。自腹で人を使ったことがあるならば、自分の発注ミスを発注先に被らせるなんてことは、信用に関わるので出来ることではありません。
 管理職にはなりたくありませんが、もしならされた時には、自分の発注ミスは自分で被り、裁量権があっても、誰も手を挙げないといった状況にならない限り、自分は除外しようと思っています。たぶん、そういう姿勢が滲み出ているのでしょう、なりたくない管理職にならされることはなさそうです。(しんぼー)
記憶媒体で思ったこと
 サイトの動画をYouTubeへ移し終えたのですが、その作業中「やっぱりフィルム=銀塩は良かったな」と改めて思っていました。規格に合わせるために15年くらい前のビデオテープをデジタルに変換しようと、デッキで再生したのですが、もう色は滲んでいるし、だいたい映像自体がくにゃくにゃになっていました。いくらデジタルで色補正でき、シャープネスも上げられると言っても、元データがぼろぼろではダメです。いずれ部品切れでデッキが動かなくなり、再生できなくなるテープも増えてきます。まだ現役のDVD-Rでも、直射日光とまでいかなくても、窓際などに置いておくと、2、3年で再生できなくなります。
 それに対し、動画でもスチルでもフィルム=銀塩で撮ったものは、定着と水洗さえきちんとしたものならば、180年くらいはビクともしないことが実証されています。つまり、写真が発明された頃の原版が未だに生き残っているということです。50年前のフィルムからプリントを作ると、まるで昨日撮ったように仕上がります。実際、歴史的な写真家のネガをプリントしたことがあるので、これは間違いありません。だから、歴史を感じさせるために、敢えてセピア調色することもあります。
 今や動画が主流になって、新聞雑誌や写真よりもテレビやビデオ、DVDに人気がありますが、そんなこんなで今回、やはり脳裏に刻まれる“思い出の一枚”の力を改めて考えさせられたのです。元々、小生はスチル写真の出身なので、その良さを十分知っている筈なのですが、スチルに対する世の中の需要が減って、動画・テレビへシフトせざるを得なかったとも言えます。
 改めて良いなと思う銀塩の写真や動画なのですが、その良さが一般に評価されるのは、撮影してから何十年か経った時だと思います。そして今の時代、そうしたアナログはデジタルに比べて割高で、そんな代金は払いたくないということになっています。デジタルも誤って消してしまったデータを復元するソフトなどが出回っていますが、さて、数十年後はどうなっているのでしょうか。加えて、やたらと枚数を撮れたり、動画なら長回しし放題になっていますので、そもそも思い出の一枚や一シーンが各人に残るかどうか。まぁ、小生と同じようなことを感じている人は少なくないでしょうから、恒久的に残す方法はきっと出てきて、普及するものと期待している次第です。(しんぼー)