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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
3D映画に思う
 平面のスクリーンに映っている動画を立体的に見せる3D映画が大ヒットし、話題になっています。デジタルテレビが導入された時にも同じことを思いましたが、一部の凝り性の人たちや、遊園地の仕掛けには有意義だと思います。本来、こうしたカラーや高画質、立体表現などを可能にしてきた科学技術の発展は通信や医療、研究などには例外なく良いことでしょう。ですが、表現や伝達という目的にとって、或いは、それを受けて愉しむ側にとっては、果たして歓迎すべきことなのかと疑問に思っています。
 挿絵すらない文字だけの文芸作品でも、読み始めると同時に脳裏に鮮やかな光景が映し出されるのが文芸の醍醐味です。同様に、粗いアナログテレビでも工夫次第で細密描写や質感表現は可能ですし、4:3のアスペクトでも水平方向の拡がりを強調する作画法もあります。遡って、モノクロでも色彩を感じさせられますが、逆にカラーで色を感じさせようとすると、色を整理したり、省いたりしなければなりません。
 メディア越しに見ているものを、素で見ているものに近づけるのが技術開発の方向。それを「リアルな表現」というのかも知れません。確かに、受け手は積極的に想像力を働かせなくても、受け身で一見楽かも知れません。しかし、何でも未整理のまま煩雑に呈示されてしまって、かえって何を表現しているのか分からなくなり、結局、伝わらないということになりかねません。
 文章にしろ、写真にしろ、映像にしろ、何かを表現して伝えようとすると、書くことや写すものを、絞ったり、削ぎ落としたりする作業が肝要です。技術的には何でも不自由なく表現・伝達できる時代になるに連れて、送り手も受け手も以前に増して、逆に選択的になって行かざるを得ないようです。(しんぼー)
 
 
 
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体制の変化
 勤務先で出稿先が変わり、過去にボツになった企画が何本か復活しました。それなりの時間と労力を費やしてリサーチして立てた企画で、自分では通ると思ったからこそ出した企画でした。勿体ない気持ちもあり、枠、つまりプロデューサーが変わったのを捉え、再度出してみたわけです。すると、企画の内容も、取り巻く社会状況もさほど変わっていないのに、採否の判断だけが180度違いました。社内の体制が変わったということです。
 最初から体制の風を読んで通るものを出すというのがプロなのでしょうが、そこまで媚びたくもありません。けれど、サラリーマンの場合、一人のプロデューサー、勤務している会社が難色を示したからと、他へ持って行くわけにはいきません。それでも、実現可能な企画を出すまでには、自分に刺激を与えながら閃くのを待ち、適当な対象を探し出し、取材を受けてくれるよう交渉せねばなりません。水面下の見えない作業なので、空振りや交渉が不調に終わると、何もしてなかったのと同じなのですが、かといって、手間暇を惜しんでいては何も始まりません。
 なので、会社や管理職はボツにする場合、払っている給料や経費を考えるべきだと思うのです。また、最初から枠や紙面に余裕がなく、すでに埋まりぎみの時は企画募集を1回見送るといった手加減が必要かとも。バンバン企画を出させて、一番美味しいものだけを採用すれば、良い結果を生むこと間違いありませんが、大不況時代の今、そんな贅沢は非現実的です。
 一国の政治体制や政局の変化でも人物や事業の評価が極端に変わることは自分で取材・報道してきました。しかし、さて自分のこととなると、体制の変化に翻弄されているのは分かっていても、生活給を貰っている手前、身を委ねるしかありません。(しんぼー)
親友との再会、出会い
 不景気のお陰で年末年始に休暇が取れ、二人の旧友に会えました。一人は高校時代にジャズという共通の趣味が、もう一人はお互い駆け出しの頃に同じビル内で働いていたことがキッカケで知り合った友達です。もう20年以上前のことですが、現在の奥さんと一人は遠距離恋愛となり、もう一人は義父に結婚を反対され、それぞれ小生が間に入ったりしたものです。平素は仕事の関係で数百キロ離れているのですが、半年、1年振りで会っても、まるで昨日の話の続きをするように直ぐに打ち解けられ、互いに並行して歳を取り、似たような経験をしてることに気付きます。
 ところで、小生の場合、こんな親友は4、5人なのですが、親友が10人とか、それ以上いると誇示する人が周囲にも少なからずいます。親友同士だと、どちらかが出張などで近くへ行けば、時間を作って会うことになりますし、家族ぐるみの付き合いになったりし、冠婚葬祭の際の交換もあります。なので、10人も親友がいるという人を羨ましく思う反面、その人は一体どう時間や経済の折り合いを付けているのだろうかと思うのです。
 新たに親友を作るのは、社会人になると徐々に難しくなり、小生のような50代になると、殆ど不可能に近くなって来ます。何故なのかと考えると、前述のように既に親友がいるのが一つ、加えて、自分だけでなく相手も同年配ならば人格が固まって来ていて、相互に影響しあうこともないからだと思います。若い頃は相手に干渉し、自分も干渉され、それが楽しく、全然嫌なものではありませんでした。しかし、加齢と共に自分も相手も殻が厚く硬くなってきて、どうも表面的な付き合いばかりになっています。一方で、淋しさというか疎外感を抱いていても、です。
 そんななか、行き付けのショットバーで昨年末、偶然一人の客と音楽や文学の趣味が合って話が弾み、もしかしたら50代になって親友が一人増えそうな勢いです。そして、いま新たな認識を持ち始めています。歳を取ると丸くなると言われますが、それは表面的なことで、内面的には自分の価値観は固まって行っているように思います。出逢う確率は極めて小さいのですが、そんな固く角のある価値観でも、お互い無理せず共感できる人がいるものだということです。(しんぼー)
 
明けましておめでとうございます
 新しい年になりました。このブログ、2005年12月に始めたので、はや丸5年に、6年目突入ってことになります。本年もどうか当ブログを宜しくお願い申し上げます。
 さて、年明け早々良い話でなく恐縮なのですが、小生ちょっとピンチです。勤務先の仕事が捗っていないのです。既に通った企画の取材や編集、それに雑用は淡々とこなし順調なのですが、問題は次の企画です。前々回、前回と2本続けてボツになっているだけに、次が通らないと、する仕事がなくなり、配転される可能性も大きくなってきます。
 あと2週間足らずで締切。いつものことながら、なかなか企画を閃かず、主人公が見つからず、悶々としています。この企画は(1)地域とのひっかけが必要、(2)手垢が着いてないこと、(3)「だが、しかし」以降の展開があるか、捻りを入れられる話であることが、平素からの条件です。それらに加えて今回は予算削減の下、(4)なるべくクルーを発注せずに、自分一人で取材できるもの、(5)海外取材などしなくても持つ内容、(6)少なくなった枠に割り込めるだけの強さがあるネタ、でなければなりません。
 上記以前に、そもそも「あれもやった、これもやった感」があり、新しいものを閃き、見つける自信は殆どありません。それでも、インターネットや書店、図書館を網羅し、街を走り回り、面白い話を持ってそうな人に会いと、必死になる以外ありません。完全失業者が300万人を超している大不況時代に、下がったとは言え、未だ結構な給料を得ているのですから、このくらいは悩んで当然なのだと思うしかありません。(しんぼー)