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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
トンチンカンな日々
 明後日から小生は勤務先の仕事で初めての地へ取材に行ってきます。社命ですから逆らいませんが、絶対小生の他に適任者がいる筈です。観光ですら行ったことがなく、本やネットで囓った程度のド素人には、友人知人もいません。逆に、政局が混乱を極めるバンコクならば、他のジャーナリストを出し抜くことも可能です。過去23年、数十回に亘って様々な局面を取材してきただけに、学者や政治家、ビジネスマンをはじめ、スラムや東北タイの農村にも人脈と土地勘があるからです。しかし、そちらでは声がかからず、小生が手探りで初めての国へ行くように、タイ取材には誰かが経験もないまま行かされているのです。
 というのは、マスメディアの記事や番組は、少し調べれば既に明らかになっていることでも、受け手が初めて知った時の驚きというか、インパクトを最も大事にするからだと思います。本当に初出のことは、地味な場合が多く、取り上げる側の思惑通り当たるかどうかも不確かなものです。要は、内容よりも、それが既出か初出かよりも、書き方や見せ方、つまり演出が求められているのです。だから、社会的地位のある人が取材して書いたり、人気タレントが旅して体験したりという手法が多用されています。
 ですが、その著名人が取材・報道する対象に精通しているかと言えば、大抵の場合、そんな地道なことをしている時間はなく、素人同然です。元より、話を複雑にする詳細さや複眼は求められていないどころか、敬遠されているのですから、それで良いのです。換言すれば、だからこそ、99%以上が平素その対象に興味を持っていない受け手と共感できるのです。観察力や感受性は必須なのですが、驚いたり、感心したりする対象が、その分野や地域に日頃から関心を抱いている人たちの間では当たり前の常識であっても、そんな1%以下の少数派をターゲットにはしていないので、全然構わないのです。
 事業として考えれば、如何に多くの人に面白く読ませて見せるかという部分に力を入れる方が、初出や深さに拘るより、ずっと効率が良いのは、小生も理解できます。しかし、こうした取材・報道システムは、どうも好きになれないのです。こんなトンチンカンな日々を送っていて、一番ホットな時期にタイへ行けませんが、ここは忍の一字で会社や受け手が求めることで資金を作り、次の自主取材でその思いを晴らそうと思っています。(しんぼー)
 
 
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マスコミとリサーチャーの間
 小生の日常の取材地域は日本国内ですが、海外では東南アジアをフィールドに南北問題を取材して、もう24年になります。一つの地域やテーマに固執するのは、深く知ると面白いし、長期に亘って付き合っていると愛着が湧いて来て、他の人が知らないことや、気付かないことを取材し、報道できるからです。
 しかし、勤務先の仕事では観光ですら行ったことがない地域や国、高校で習ったこと以上は知らないような分野を取材しなければならないことがしばしばあります。人間関係を構築したり、改めて勉強していては到底間に合いません。だから、その地域や分野に長年携わってきたリサーチャーやコーディネーターにギャラを払って、調べて、お膳立てをしてもらうのです。逆に東南アジアのネタではリサーチやコーディネートを頼まれたことが何度かあります。そんな風に両方経験して思うことは、既に個人としてメディアに認められていたり、マスコミ企業の社員や契約がある人ならば、専門家を雇うことで、長年やっていなければ出来ないようなことも一朝一夕に成し得るということです。
 小生がリサーチやコーディネートする場合は、先に自分で取材し、既に発表しているものなのですが、それでも、たっぷりカネをかけて取材して編集、その上、注目度が高い媒体や番組枠が用意されていたりすると、何だか悔しく思います。しかし、初出でないからこそ、リスクが低くカネを注ぎ込め、穴をあける心配もないので媒体も押さえられるのだと思います。未だ誰も取材していないものは、空振りもあるし、地味な記事や番組になってしまうこともあります。
 リサーチやコーディネートを仕事にしている人たちは指示や注文に従って動くので、記事や番組の出来不出来に関係なく、日当や経費が支払われ、リスクを背負うことはありません。一方、マスコミ側は月給制や年俸制だったりし、その一本の成否で急に減収になったり、即クビになることもありません。だから、他人が手を着けていないものを探して、自ら取材するフリーのジャーナリストは、最も分が悪い立場だと思うのです。しかし、「自分がやった」という自己満足だけは最大限得られます。万年赤字であっても、小生が自主取材を止められない理由です。(しんぼー)

 
 
私生活の切り売り
 独自の物を作ることを生業にしている人が他人に必要とされるためには、作家を筆頭に、私生活を切り売りしなければならないのではないかと考えています。幾ら独自の切り口だとか、本邦初出の特ダネだとかと言っても、第三者をネタにしている限り、「良く見つけた」とか、「良く取材した」といった域を出ません。つまり、その人でなければならないということにはならないのです。
 何を扱っていても、究極は人間中心の世界の真理や普遍性を描こうとしたり、浮き彫りにしたり、切り取ったりして露わにしようとしているように見えます。対象はズバリ人間で、論文にしろ、記事やドキュメンタリー、エッセー、小説、ドラマ、映画、舞台の受け手も、この時代の生身の人間です。となると、第三者の感覚や感情、体験、経験を基に仕事しているうちは、客観的で受け入れられやすいかも知れませんが、一人称の切迫感はなく、想像の域を出ずに月並みになると思うのです。
 ならばと、いくらでも迫れて、想像などあやふやな部分がない自分自身のことをネタにすれば良いのですが、となると、勤務している企業や家族や親戚、友人知人、隣近所などに、「あいつは真面目そうに見え、立派なこと言ってるけど、裏では、へぇー、そんなことやって、結構エキセントリックな思想の持主だったんだ」などと知れてしまいます。
 社会人になると同時に、私生活の切り売りはしなくても、私生活をオープンにして来た人は、ある意味、抵抗がないでしょう。しかし、人生途中からとなると、それまでの人間関係の崩壊を覚悟する勇気が必要です。だから、誰にでも出来ることではない故に希少価値があり、晒け出せない殆どの人たちの興味を喚起するのだと思います。ただし、つまらない私生活ならば、暴露しても、「で、だから、どうなの?」てなことになり、自滅という最悪のパターンとなります。(しんぼー)