このごろ個人にしても、企業や団体にしても、人権やプライバシー、肖像権の侵害だとか、名誉毀損や業務妨害だと言って、メディア企業やジャーナリストとの間でトラブルになることが多くなったように思います。根も葉もないことを報じられ、損害を被ったならば、出るところを出て質さなければなりません。小生も、もしそんな目に遭った時には、先ずは「訂正・お詫び」を依頼する内容証明でも送ると思います。 けれども、取材や露出を歓迎する個人や企業・団体は、自分が報じられることで何らかの形で世の中のためになるというよりも、自分への直接的な利益だけを期待していることが殆どです。そんな自慢話や宣伝を、そのまま報じたのでは、受け手はコマーシャルを見せられ、読まされているようで、送り手もCMを作らされているようで、面白くありませんし、社会の福祉になるかは疑問です。だからと言って、そこで物事には両面があるからと、掘り下げようとしたり、反対意見や批判と抱き合わせて編集したりすると、最初の取材先がヘソを曲げて、その企画が頓挫するか、報道できても冒頭のようなトラブルが起こる可能性が大です。 警察や検察が事件としていたり、誰かの訴えを裁判所が受理していた場合は、そのことを報じれば、既成の事実なので、問題にはなりません。しかし、何事もそうですが、物事には表裏があり、表だけを報じたものは、信憑性が低く、説得力もありません。 人物も商品も施設もサービスもシステムも、不景気な昨今は以前に増して、スポンサーかその顔色を気遣うプロデューサーや編集部などの手前、良いことや良い面しか報じられなくなっているように感じます。我が身については良いことだけを報じて欲しいのが人情でしょうが、全てがタイアップ企画や提灯原稿みたいになった時には、そう言っていた人にとってさえ、もはや時間を費やして見ようと思う番組や、金を払って読みたいと思う記事はなくなっていると思うのです。(しんぼー)
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