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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
犬猫雑誌や番組の多いこと!
 ペットの犬や猫を扱った雑誌やテレビ番組を毎日のように目にするのは小生だけでしょうか。最近、殊に多くなったように感じます。加えて、どれも同じタッチというか、志向で、それがいつも気になるのです。動物の赤ちゃんや子供、或いは人間が作った特定の種を「可愛い」というだけで、奇形で生まれたり、捨てられたりて、処分されたりする陰の部分には滅多に触れられません。
 テレビや雑誌に出ている姿は、人間が品種改良(?)したり、ダイエットさせたり、トリムしたり、服を着せたり、はたまた尾や耳を切ったりした結果で、本来の姿ではない場合も少なくなく、痛々しくも感じます。ここで不思議に思うのは、感情移入が過ぎて擬人化し、時にヒステリックに「かわいそう」と言う人たちの一部が、一方で、そうした虐待のようなことを好んでいることです。
 これは人間と動物やペットの関係に限らず、人間同士の関係でも、しばしば見受けられます。自分の審美観や価値観の方がベターであるか正しいという確信や思い込みは持っていないと、「私は誰?」と自分を見失い、生きる気力も無くしてしまうでしょう。しかし、それを状況に応じて引っ込めなかったり、普段から押し付けていたりしていては、人間関係が上手く行かないだけでなく、それ以前に限られた世界に閉じこもっていなければ、トラブルメーカーになっている筈です。動物を〝ネコ可愛がり〟し、すぐに可哀相という人は、異文化と接触した時はもちろん、ローカルな一社会に住んでいても、自分の確信や思い込みを最初から肯定してくれるか、理解していないが故に否定しない人たちとしか付き合わない人と近似しているように感じます。
 そうした関係は自分を相手に投影できて、確認でき、孤独に苛まれることなく、寂しくないだろうことは想像できます。たまたま凸凹が合ったり、互いに歩み寄りの努力をしたりした双方納得の上での関係ならば幸せでしょう。ですが、その関係がヒトとその他の動物のようにアメと鞭を自由に使える側が固定していたり、慣習や文化、宗教的戒律、法律などで一律になっていたならば、トンデモナク不幸なことだと思うのです。(しんぼー)
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言論の自由と内規
 尖閣衝突映像の流出で大騒ぎになっています。ジャーナリストが垂れ込みを受けたり、積極的に取材したりして、報道したものならば「言論の自由」と「取材源の秘匿」を盾に、政府の訴えも突っぱねられます。政府は職務上の秘匿義務違反ということで誰がリークしたのかを追及するでしょうが、そこで発信者がテロ防止法や、どこかの国のような国家転覆防御法で口を封じられてしまわないようにするためには、日頃から誤報をしないよう、根拠のない誹謗中傷やプロパガンダにならぬよう常々自戒しておき、揚げ足取りの材料を与えないことです。
 当然のことですが、ジャーナリストではない一般の人たちにも「言論の自由」はあります。勤務先の内規と憲法に謳われている言論・表現・報道の自由のどちらが優先するかは自明です。公務員の場合は、犯罪に当たることを見聞きしたら内部告発しなくてはならないのですが、告発したことで不利益処分を受けないのはタテマエで、その上、刑法に触れる「犯罪」しか対象となっていない所に限界を感じます。利益至上主義の民間企業ならば、不正が行われていても内部告発は辞職や解雇を覚悟の上でなければ出来ません。公務員の場合、何を国益とするのかという点で、また、その時々の政権で意見が分かれるところです。
 世の中には特定の人が知っている分には良いが、公になっては困るという情報が沢山あります。それには情報が一人歩きして差別や犯罪、社会の混乱を引き起こすことになったり、情報自体に経済的価値があり無料で開示しては元が取れないという種類のものもあります。ですが、そもそも明るみに出せない情報は要注意です。つまり、人が見ていないなら、何をしても良いという嘘や、何が起こっていても問題ではないというような不正に通ずるからです。
 外交政策を左右する情報であれ、企業や個人の評価に影響する情報であれ、内部告発する勇気ある人や、そういう人を探すジャーナリストがいなければ、全ては密室の中ばかりで処理されることになります。それで結果が良かったり、社会に影響がないことならば看過できるのですが、それはたまたま偶然のことです。インターネットに載せることも含めて、報道するか否かは、やはり「知る権利」を行使し取材をしないことには判断のしようもありません。(しんぼー)