先日シンポジウムに参加し『ドキュメンタリーの行方』といったテーマで意見交換してきました。小生が招かれたのは、フリーランスと企業ジャーナリストの両方を経験しているからかも知れません。フリーランスの人たちは、自分たち独立系のドキュメンタリー映画は発表の場が少なく、もっと多くの人に見てもらいたいので、地上波で放送できないものかと。小生は企画会議にさえ通れば、まず放送されると答えました。ただ、そこへ行き着くまでには、良いハナシばかりでなく、いろいろとあるのです。 民放局に於けるドキュメンタリーは、殆どスポンサーが付かない赤字番組の筆頭で、企業メセナのようなものです。ニュースを止めないように、ドキュメンタリーも辛うじて続けていますが、そこには民放も公共放送だという体裁を保つ意味があります。ということで、社員でもドキュメンタリーに専念できるわけではなく、並行してそれ以外の多くの仕事をしなくてはなりません。どうも興味が持てない娯楽番組やイベント中継などのディレクターをしたり、規模の小さな局では日々のニュースが主な仕事で、ドキュメンタリーは追加の仕事として時間を捻出しつつ作っています。そんな中で、老若男女だれの目に入ってもクレームが寄せられそうにない、且つ、会議に通る位には面白いという企画を出さねばなりません。 フリーランスの人たちは、持ち込む企画が特ダネだったり、素材が十分に魅力的ならば、余計な仕事はしなくても、その一本に限っては即放送されるでしょう。しかし、そんな良いものは頑張っていて何年かに1度のこと。また、地上波に載せるための制約をクリアーし、発表の場を得て、より多くの人に視聴してもらうという当初の目的は達成できても、ネタ選びや表現でフラストレーションが溜まったり、自分たちの日当込みでは必ず赤字になったりします。生活して行くためには、やはり平素は外部スタッフとしてワイドショーなどの制作に携わって収支のバランスを取りながら、機を窺う必要があるでしょう。 そうなると、好きなドキュメンタリーだけを撮っていた時の独立系ならではの感性やバイタリティーが萎えてしまわないかと心配なのです。フリーより社員の方がやり易いと思って企業ジャーナリストに戻った小生も、万年赤字のライフワークとバランスを取るのにヒーヒー言っています。なので、シンポジウムでは地上波を目指すのは微妙、これまで通り単館系の映画館や会場を借りての自主上映、或いはYouTubeの方が良いのではと話して来ました。(しんぼー)
テーマ:創造と表現 - ジャンル:学問・文化・芸術
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