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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
有給ボランティアは、その精神に反する?
 東北大震災の被災者に、外国政府を含め、様々な団体や企業などを通じて多くの人々から義援金が寄せられています。ところが、プロジェクトや使途を決めて、受け取って分配する行政機関自体が被災していたり、また、優先する業務があったりしています。その結果、義援金が必要な所へ的確・迅速に届いているとは言いがたい状況です。大規模な天災でなくても、内戦下で役所が不在だったり、政治的に割れていたり、途上国では生活のために賄賂や横領が日常茶飯事だったりして、やはり義援金や寄付がなかなか必要としている人々へ行き着きません。
 だから、医療福祉や建築土木、教育などと並んで、援助を管理運営するボランティアも必要だと思うのです。この種のボランティアは短期の休暇や休日に時々活動するのでは機能しないので、専任の有給ボランティアでなければ務まりません。ボランティアスタッフが義援金や寄付の中から報酬を取ることに、ボランティア精神に反するという人がいます。しかし、小生などはそうしたプロのボランティア団体に20年以上寄付を続けています。逆に、管理運営スタッフが十分でない所へは寄付していません。
 というのは、援助を活かすには、地域の人たちに話し合いを促し、要望を纏め、且つ、緊急人道援助の時期が過ぎていたら、一時金的なバラマキではなく、不平等や不正がないか見守りながら、生産・経済復興に繋がるような使途や配分を助言しなくてはならないからです。そのためには被災地のポテンシャリティをリサーチしながら、その地域の人々の信頼を得なければならず、腰を据えての仕事となります。
 そもそも「ボランティア」という言葉は「無報酬で」ということではなく、「自主的に」とか「自分の意志で」という意味です。たとえ有給スタッフとして働いていても、目指す支援が不要な状態になれば、その地では失業するわけで、安定収入が得られ、将来に展望が持てるとは言い難い職です。国連の下部組織や国際・ローカルの非政府機関(NGO)のスタッフが有給であるように、やはり義援金が有意義に使われるためには、その規模に応じた専任ボランティアたちの報酬は必要経費とすべきだと思うのです。(しんぼー)
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テーマ:東北地方太平洋沖地震義援金、災害援助 - ジャンル:福祉・ボランティア

被災者の取材・報道
 震災と津波、原発事故に際して考えていることがあります。天災や人災、戦災など災害にも違いがありますが、取材・報道される被災者に外国と日本で大きな違いがあるように感じるのです。外国では殆どの場合、飲まず食わずの被災者でもジャーナリストを歓迎してくれます。窮状や理不尽さが外部へ広く伝わることで、援助が来たり、行政が改善されたりすることを期待してのことでしょう。開き直りから、そこまで見せるかと思うほど、曝け出してくれます。となると、こちらも確と伝えねばと使命感に燃えます。しかし、日本では「他人の災難がそんなに面白いか!このヒトデナシが!!」と罵声を浴びせられたり、時にはカメラを壊されたり、殴られることもあります。
 外国のジャーナリストに同じようなことを感じているか訊ねたことがありますが、小生ほどではありませんでした。なので、日本のメディアの日頃の姿勢が問題を生じさせているのではないかと思えてならないのです。流石に日本のメディアも今回のような大災害では自粛していますが、普段は「他人の災難」を高みの見物感覚で見せるか、そうでなければ無視することが多いと言わざるを得ません。翻せば、それで顰蹙を買わず、抗議も寄せられず、部数や視聴率が取れているということは、受け手が好んで見ているということです。ジャーナリストに罵声を浴びせる被災者たちも、つい昨日まではそんな他人を食い物にするような報道を見ていて、一夜にして今度は自分たちがそんな目で見られる側に立たされ、その悪趣味さに気づき、腹が立つのだと推察します。
 一部の先進工業国を除き、海外ではメディア間の競争が日本ほどに激化しておらず、報道と娯楽の線引きが比較的ハッキリしていて、報道は未だ信頼されているようです。同時に、ストレートな報道だけでもメディア企業やジャーナリストがやって行けている所が多いと思います。ところが日本の場合は、NHKや大新聞もあるなか、それ以外の媒体はワイドショー的な興味を喚起したり、外連味を加えなければ生き残れないというジレンマもあります。
 また、国内の場合、取材者と被取材者が同じ国の同時代の人間であるにも関わらず、互いの境遇に大きな隔たりがあることが、被災者のジャーナリストに対する怒りを生んでいるようにも思います。多くの外国では、同国人の間でも格差が厳然とあるからか、衣食住に不自由していないジャーナリストだからと言って妬みや怒りの対象にしたりはせず、そんな格差を縮小することも含め、ジャーナリストの職分を全うすることを期待します。日本と外国、被災者と無事だった人。そもそもいつ何処に生まれ落ちるかは誰も選べません。そんな大きな不条理があるからこそジャーナリストになった人は、小生を含め大勢います。だから、被災者の反応如何に関わらず、やはり取材・報道は続けなければと、こんなことを考えているこの頃です。(しんぼー)