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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
地デジ化、送り手・制作者側にとって
 24日の午後、とうとう地デジ対応のテレビを買って、その日のうちにセッティングを終えました。小生、放送局に勤めていて、担当はラジオではなく、テレビの番組制作なのですが、地デジは会社で毎日見ているからと、自宅のテレビはアナログ放送終了当日のデジタル化となりました。というのも、全然わくわくせず、仕方なしにということだからです。
 爆発的に普及した携帯電話に周波数帯を譲る一方で、デジタル圧縮技術でHDや文字放送、5.1chなどが可能になりました。しかし、世界的潮流とはいえ、ユーザーや放送局からの要望ではなく国策での地デジ化で、放送されるコンテンツ自体は以前と変わりありません。地デジの絵音の美しさといったハード面の良さを活かし、美術作品や大自然、クラシック音楽やジャズを扱った番組が増えたかと言えば、そもそも需要がないので増えません。テレビ放送がカラーになった変革よりも、一般ユーザーの喜びは大きくないのではないでしょうか。
 それは送り手側にいる制作者の小生も同じです。デジタル化の恩恵は撮影や編集の機材がものすごく安価になりながら、物理的なクオリティーはアナログより数段良くなっているというところです。しかし、嬉しくないことは、ピントが少しボケていてもバレてしまうので、撮影の段に大変神経を使わざるを得なくなり、16:9という横長の画角を有効に使う構図で苦労すること。また、5.1chなどはステレオ録音でさえ現場では難しいのに、マイクを4、5本立てるなど到底できません。これでは肝心の内容に集中できません。テレビは映画のように大人数で、或いは、じっくり腰を据えて撮れることは稀なのです。また、文字情報も同時にまったく違う情報を得るためのもので、映像を補強するような使い方はできず、もしそうしても今度は映像を見てもらえなくなってしまいそうです。
 受信料があるNHKを除いてのことですが、BSやCS、ケーブルが普及した際に明らかになったように、チャンネルや枠が増えても、結局は放送局は増収、スポンサーは右上がりの経済を期待しています。地デジ化しようが、多チャンネルになろうが、儲からないニュースやドキュメンタリーがどんどん放送できるようにはならないようです。そうした専門チャンネルはありますが、一からの取材や制作はせずに配信が主な業務で、地上波の再放送や、海外から買った番組がほとんど全部です。やはり商業ベースで考えると、需要が小さく、そういう形でしか成立しないと言えます。小生にとって、地デジ移行のメリットは結局、テレビ受像機を含めて機材が安くなった、唯それだけのようです。(しんぼー)
 
 
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テーマ:地上デジタル放送 - ジャンル:テレビ・ラジオ

“やらせメール”に思う
 電力会社の「やらせメール」事件は、自分たちに都合が良いように情報操作や世論誘導をしようとして起こりました。以前から恣意的な情報開示や公聴会への動員などで、ずっと原子力発電は安全安心と宣伝してきていたのですが、福島第一の事故の終息が見えない状況での「やらせメール」は顰蹙を買うくらいでは済まなくなりました。
 メディア企業やジャーナリストは、事実に反する報道は自殺行為そのものなので、不注意からの誤報はあっても、根も葉もない誹謗中傷で企業の業務妨害するようなことはありません。しかし、それでも新聞社時代から大企業の取材していて感じることがあります。大企業であれ、エリート管理職であれ、完全無欠などあり得ないのは誰もが分かっていることなのに、かえって懐疑心を持たれてでも、良い面ばかりをアピールしようとすることです。そして、逆に、欠点や課題、それを克服しようとする努力の様子などは隠すといった体質です。営利企業なのですから当然かも知れませんが、それで飯を喰っているプロの誇りや商道徳の意識はないのでしょうか。
 一方、商業メディアの事情として、大企業にスポンサーになってもらったり、取材の便宜を図ってもらわなければ、刊行物や番組の存続に関わることもあります。となると、スポンサーや被取材者、出演者、取材協力者のネガティブな事実には触れられなかったり、言い分を通さなければならないというジレンマに陥る可能性があります。大企業はこうした商業メディアの弱点を見透かしてか、普段からメディア操作はすべきこととし、それは可能なことだと認識しているフシがあります。
 大企業であれ、営利を追求する民間企業が原発を建設し、運営、管理するという点が、今回の「やらせメール」が起きた大きな要因だと思います。短期的な収益を優先しギリギリのところでシノギを削る私企業に、まだ最後まで完全には人間がコントロールできず、予期せぬ大事故が起きても不思議ではなく、何十年も先までの収支を考慮しなければならない原発を営利事業としてやらせている所に、問題の根っこがあるように思えます。加えて、公器であるべき報道機関も商業メディアであることが痛いところです。(しんぼー)
新しい記事と動画をアップ
 フォトジャーナリストとして今年3月に自主取材したものを、ようやく自分のサイト『東南アジアの人々』にアップ、つまり、発表しました。毎回言い訳になるのですが、東南アジアの自主取材は経費すら回収できない大赤字になりますので、日頃は黒字になる勤務先の仕事を優先しています。よって、自主取材の編集は勤務先の仕事の間隙を縫ってやっており、多忙で余力が残っていない時期は、1週間まったく進捗しないこともあり、こんなに時間を要してしまうのです。このやり方で、もう25年ほど続けて来ましたが、だからこそ、何とか普通に暮らせ、続けて来られたと言えます。
 近年は新聞雑誌テレビどれにも殆ど売れず、もっぱらインターネットが発表媒体になっているのですが、コンピュータでの作業が余分にあっても、収益には全然結びつきません。それでも小生が今夏もまた自主取材に行こうと計画しているのは、まずライフワークにするほど東南アジアが好きだからです。次に、東南アジアものはペイしないので取り組んでいるジャーナリストや取り上げるメディアが少ないからこそ、細々とでも小生が報道しなければと思うからです。
 行政や学問と同様に、ジャーナリズムは金銭的利益を生まない対象にも目を向けていなければならない性質のもので、収益が上がらないから取材・報道しないというのは間違っていると思います。市場の需要に呼応した記事や番組は、質の高いものもありますが、特に後追いはコマーシャルです。収益が上がるうちは、誰もが、どの社もそれを取り上げ、その結果、対象のみならず切り口や論調まで右へ倣えの記事や番組が氾濫しています。
 そんななか、収入が殆どゼロになりつつある小生のライフワークは事業とみなされないようで、もし支出が経費と認められなければ、税金を納めるばかりで、これまで以上に資金繰りが苦しくなります。やはりジャーナリズムは完全な趣味としてしか成立しないのでしょうか。(しんぼー)