教育関係者や芸能人らが覚せい剤所持・使用容疑であちこちで逮捕されています。覚せい剤にいったん手を出してしまうと、脳そのものが変質し、自分の意思だけでは決して止められなくなってしまいます。かつて取材したことがある薬物依存症の患者たちや専門医、担当弁護士らは異口同音にそう話していました。 体力的に疲れ切っているのに休めなかったり、精神的に辛いことがあったりして現実逃避したくなることは、誰でも人生に1度や2度はあります。立ち直るためには、周囲の環境は生活している以上なかなか変え難いので、自分の生き方を見直す必要があるようです。しかし、プライドが高ければ高いほど、自分が恥部と嫌悪する部分を見つめたり、自分に“敗北宣言”しなければならかったりし、そのプロセスはかなり過酷なものになることもあります。 精神病の治療法に認知行動療法というのがありますが、自分の足跡を辿り直して現在の立ち位置を冷静に見つめ、それを自分の言葉で公言できるようになれば、乗り越えられたも同然です。自棄っぱちな開き直りではなく、得られるものは「自分はこんなもんだ」という自覚と自信だと理解しています。他方、真面目で責任感も強く「自分はもっとできるはずだ」と周囲の期待に応えすぎて徹夜などをし、休日も取らず、そんな心身の疲れを乗り切ろうと薬物に手を出してしまう人も、特に中高年に少なくないようです。これも結局は自分の能力以上のことを無理にしようとした結果だと思うのです。うつ病の予防もそうですが、仕事を断ることも大事。実は小生も仕事を請けすぎて精神科に5年通った経験があり、やはり「自分はこんなもの、このくらい」と思うことをキッカケに病を克服できました。 苦境にある時に違法薬物に頼るか、他の捌け口を見つけるかが人生の分かれ道になるのは明白です。一番は弱音や愚痴を吐ける親友や家族がいること、二番は熱中できる趣味があることでしょうか。しかし、自分を精神的、肉体的に追い詰める過程で、そのどちらをも失い、薬物依存症の人たち中に入ってしまう場合もあります。薬物に手を出す前の苦境において危険なのは、孤立無援であることです。しかし、そもそも自暴自棄になっている人は警察や厚労省などの忠告や啓蒙も耳に入らないでしょうし、病院も患者同士の自助組織も未然には助けられず、問題の根深さを思い知らされます。(しんぼー)
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