ずっと行きたかった国のビザが下りました。1990年に『民主化への胎動』と題して初の総選挙を取材。93年には『経済開放と民主化の狭間で』という視点で、前回の95年には軟禁を解かれた要人にもインタビューし、『民主化の行方』という記事を書きました。この3回以外はビザが出る可能性が極めて低いか、出なかったため、89年1月から8回に亘って国境や民主派の解放区からウォッチして来ました。ということで、正面から入国するのは19年ぶり4回目となります。 しかし、今回もビザ申請を代行している旅行社が、ジャーナリストの場合は一般に求められる書類に加えて、所属しているマスコミ企業からの休暇証明書と誓約書の2通が必要だと。しかし、誓約書に市民の話を聞いたり、写真やビデオを撮ったりしないという項目はありませんでした。世界を敵に回す構えならば別ですが、情報公開が国益に反しないことは歴史が証明しています。 そもそも言論や表現、報道の自由が施政者によって制限されていること自体が前時代的です。根も葉もない誹謗中傷はジャーナリストにとって自殺行為ですから、最初からそんなことをするつもりはありません。しかし、責任をある自由な報道を制限する官僚がいたとしたら、それは彼らの思い上がった大きな勘違いによるものです。また、それ以前に、世界的なインターネット時代の到来で、いよいよ人の口に戸は立てられなくなっていて、すでに情報は自由に飛び交っています。 東西冷戦中はビザどころか東西間では飛行機も通っておらず、観光ですら行けない国も多くありました。しかし、現代においてこんな国は非常に数少なくなっています。それ故に、とにかく行ってみる価値があるのです。意外とすんなり発給された小生のビザもその一つですが、”リトマス試験紙”のような仕掛けを幾つか携え、いろいろと見聞して来ます。秘密保護法などといった時代錯誤かと思われる法律が最近施行された国の一市民としても、示唆に富んだ経験になるのではと思っています。(しんぼー)
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