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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
社員の発明は会社のもの。著作物は?
 青色発光ダイオードの製法発明で日本人の学者や技術者がノーベル賞を取ったのを機に、「社員の発明は会社のもの」というコンセンサスや法律が出来ようとしていることが話題になっています。小生など、そんな世紀の発明に全く縁はないのですが、ずっと以前から企業ジャーナリストが書いた原稿や撮った写真・映像などの著作権については頭にあります。
 原稿や写真、映像はコンピューターや機械が作るものではないので、二つと同じモノはなく、作者の色が出ることも多々あります。真似ることは出来ても、やはり人それぞれの仕事、著作になります。但し、会社の仕事としてやっていると、権利は作者に残らないのが現実です。しかし、小生はそれで仕方ないと納得しています。なぜなら、取材にかかる経費を社が持ち、仕事の量に増減があっても、出来具合に浮き沈みがあっても、社は一定の給与を出し、病気怪我で休む時は有給休暇を使え、年金や社保は社からの補助があり、退職金まで出るからです。こう考えるのも、やはり30歳代に丸6年のフリーランス経験があるからだと思っています。
 フリーランスには大きく分けて2種類あると思います。本来メディア企業の社員がする仕事を、社が社員にさせると経費が嵩むからと外注に出す仕事を下請けするフリーランス。もう一つは、企画から自分で起こした仕事をメディア企業に売り込むフリーランスです。前者だと、やはり社員と同じで仕事の著作権は自分には属しません。後者は原則、掲載や放映に対する代金を受け取る形で、著作権は自分に残ります。しかし、後者は必ずしも採用されるとは限らず、採用されても費やした日数の日当どころか経費すら取り戻せない原稿料で、赤字になる可能性も少なくありません。
 ジャーナリストだけでなく、未知の物を探し出したり、これまでにないモノを創り出したりすることを仕事とする人が、著作権や特許を自分のモノにするためには、まだ仕事の成否や評価が分からない最初の段階から手出しでやることです。しかし、場所や道具や協力者がないと始められなかったり、それに必要な資金を自分で用意できなかったりすることも多いのが現実です。小生が創り出すモノは月並みですが、自分の自由意志でテーマを決められ、発表でき、再使用もできるよう、自主取材は勤務先の勤務時間外に、100%自己資金で、勤務先の社名や肩書きも使わず続けています。(しんぼー)
 
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テーマ:クリエイティブなお仕事 - ジャンル:学問・文化・芸術

義勇兵を志願する人たち
 イスラム過激派のイスラム国の義勇兵を志願する日本人青年が現れ、大騒ぎになっています。原理主義でなくても、イスラム教信者=ムスリムになる、つまり戒律を守るというのは、日本では並大抵なことではありません。小生は国内でイスラムに途中帰依した人たちに密着取材したことがあります。先ずはコーランの勉強、1日5回のお祈り、そして、食べ物、酒、女性だと服装、年に一度の断食など日常生活のあちこちで日本の生活習慣と食い違い、横並びでないと奇異な眼で見られるこの社会において、周囲の理解を得るのもですが、収入を維持していくことも大変です。対人のサービス業が最も難しく、農林水産業だと比較的ぶつかることが少ないかも知れません。
 さて、その青年は、まずムスリムとして生活していたのでしょうか。キリスト教や仏教が性善説をベースにしているのに対して、イスラム教では人間は欲深くて仕方がない存在だという性悪説に立ち、だからこそ、まずは日々の生活の中で自らを律せなければならないと厳しい戒律を守ろうとしているように思いました。信者の間では固い互助精神がありますが、穏健派の信者同士では「あなたは戒律を守っていない」といった指摘はせず、他の宗教を信じている人や無宗教の人をイスラムに帰依させることを、勤行とか徳を積むこととかにはしていないようです。
 一方、宗教は関係ありませんが、軍事政府の国軍と戦っていたビルマの少数民族の義勇兵になると現地を目指した元自衛隊員を取材したこともあります。彼の場合、正義感というか勧善懲悪の意識は強いのですが、とにかく武力に訴えるしかないという考えでした。たとえ紛争を武力で解決したように見えても、鎮圧された方はいつまでも怨嗟が残り、真の和平は来ません。また、自分たちの権利や資産を守るためであっても、武力行使はしたくないと思っている人が、政府や上官の命令で仕方なく武器を手にしていることも少なくないと思います。武力衝突すれば、どちらか、或いは両側に死傷者が出たり、仕事や家族、故郷を失って人生が滅茶苦茶になってしまう人が出たりします。
 想像力の欠如というより、武力行使の先に起こりうることを想像すること自体を、彼は軟弱と言っていました。なぜ、そういう考えに至るのかと、小生は一生懸命理解しようとしました。今回のイスラム国を目指した青年は就職に失敗していたと伝えられています。やはり、今いる社会で彼らは自分の居場所や夢を持てず、不満や怒りばかりで、それが少しの努力では解決しないという閉塞状況にあり、少なくともその社会内では自暴自棄になっているのではないでしょうか。ビルマの少数民族に加勢しようとした彼も、定職はなく、恋人も配偶者も子供もいないと話していました。大国や体制に追い詰められている勢力に、身を捧げれば、受け入れてくれますし、たとえ言葉が通じなくても居場所を与えられます。それが魅力なのでしょうか。やはり一つの国の中でも、国境を跨いでも、負け組だとか、アウトローといった階層が生じないようにし、既にある場合はなくす努力をすることが、遠回りのようでも平和維持と和平への近道だと思うのです。(しんぼー)
 
 

テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済