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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
援助の方法
 小生のサイト『東南アジアの人々』に最近アップしたビデオリポート『援助の方法』で考えていることがあります。今回はカンボジアの子どもの問題を取り上げていますが、日本でも程度の差こそあれ同じようなことが起こっていないでしょうか。イソップ物語の「蟻とキリギリス」や、諺の「働かざる者食うべからず」が非現実な空文に響くという意味でです。端的な例として、旧産炭地の福祉経済構造を思い出します。国策で炭坑が華やかだった頃、労働者は中学すら卒業していなくても大卒以上の給料を得られ、エネルギー政策を変えて閉山させた政府は失業転職を余儀なくされた労働者を保護支援しました。しかし、経済原則を恣意的に動かそうとする政策は人々を振り回し、上手く機能していない場合が少なくありません。
201504cb_railway.jpg カンボジアの場合、社会福祉制度は殆どなく機能もしていません。しかし、熱帯の豊かな自然の恵みと年中20℃を下回ることがない気候から餓死や凍死はないので、“尻に火が着く”ことは滅多にありません。一方、ポルポト時代の虐殺政治で多くの知識人や専門家が殺されたり、外国へ亡命したままになっていたりして、長らく指導層が薄くなっています。インフラ整備には外国や国際機関からの援助が不可欠で、工業製品を買えば貧困に陥ります。その結果、拡大しすぎた周辺諸国との格差からも勤勉・勤労精神を持つことが難しいのだろうと推察しています。リポートでは、贈ったカネや物がなくなれば終わってしまう援助ではなく、自分たちで使いこなせなかったり、メンテナンスができなかったりして朽ちてしまう箱モノ援助でもなく、一緒に学び働いて達成感を共に味わいながら、まずは彼らが夢や希望が持て、独り立ちできる方法を身に着けていってもらえる援助を示唆しています。
 ところで、日本は貯えがなければ越せない冬がある国の一つですが、旧産炭地でなくても、たとえ貯金がなく、保険や年金をかけていなくても、社会のセーフティネットが機能していて、孤立さえしなければ、人権上放置されることはなく、餓死や凍死は避けられます。熱帯とは違って、社会の蓄財や制度がもたらす豊かさですが、ヒトという動物はどこの国にいても可能ならば“易きに流れ”、本能的に狩りをしたり木の実を集めたりし、巣を作って子を産み育てる他の動物とは違うようです。反面、他の動物は自分が必要とする以上のモノを得ようとしたりしません。ヒトが文化や産業を発展させるのは、他の動物にはない止めどない欲があるからなのは自明のことです。
 日本では福祉を利用する方が楽とばかりに、機会があっても、障害がなくても、学んだり、働いたりすることを自ら避ける人が少なからずいます。カンボジアで言えば、自然の恵みと足らない部分は外国や国際機関からの援助で暮らして行けるのに、なぜアクセク働かなければならないのかということになるのでしょう。達成感や独立の気持ち良さを味わったり、希望や夢を実現させるためには努力しなければなりません。逆に言うと、幸せはそれに至るまでの我慢や苦労がなければ味わえず、良い環境にいても、それが他人から与えられたモノなら本人は幸せに思っていないものです。我慢や苦労とそれによって得られるモノを天秤にかけ、各人が選択した結果がそれぞれの性格や生き方に、そして地域性や国民性に反映しているのでしょう。行政もジャーナリズムも目的は公共の福祉、人々の幸せと健全な社会を目指しています。しかし、戦争する国に向かっていても、貧困に向かっていても、当事者たちがそれを意図的に、或いは、好んで選んでいては、いかんともし難く思います。とはいえ、ジャーナリストの存立意義がなくなってしまいますので、やはり、たとえ偏向と言われようが、自分なりの価値観と幸せのビジョンを持って、それを基軸に取材・報道していくしかないように思います。(しんぼー)


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