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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ギリシャに思う
 債務不履行に陥ったギリシャへの対応に関するニュースが連日報じられています。一国を許せば、大きな債務を抱えている国々が欧州だけでなく世界のあちこちで、なりふり構わず利子すら払わなくなることが頻発しそうなだけに、大きく取り上げるのは頷けます。別の形では、株を発行して資金を集めておきながら、バブルが崩壊すると売買できないようにするといった突然資本主義を真っ向から否定するような大国も現れています。london1980小生は東南アジアと日本における南北問題をライフワークとして来ましたが、この方向では格差は拡大、関係はより硬く固定され、問題は大きくなるばかりです。
 日本で暮らしていて外国へ行くと、輸出できる豊富な天然資源があるわけではないのに、人々がのんびり暮らしている国があります。殆どの国民が半ば自給自足の農林水産業で、運輸交通通信のインフラや教育医療福祉の行政サービスが貧弱でも、その不満を爆発させず、相応に暮らしているなら、それも在りかと思います。劣悪な環境をモノともせずガリガリ働いている姿は見ないのに、人々が良い身なりをし、新車や高級車に乗り、しばしば高級レストランや海外旅行に行ったりしていると、どうして出来るのだろうかと不思議に思うことがあります。それが極一部の人たちという貧富の差が大きい国だと、まだ理解できます。しかし、大きなスラムなどはなく、保険年金制度も行き渡っているような国では、今に取り付け騒ぎが起こったり、ある日突然、紙幣が紙屑同然になったりするのではないかと心配になって来ます。ギリシャの場合は自国通貨ドラクマを廃止し、統一通貨ユーロになっているので、そんな荒技も使えず、さらに厄介そうです。
 銀行は融資する相手が個人や企業ならば、財務状態や信用を審査するのが当然で、リスクを考慮しています。ところが国単位になると、自国経済への見返りを期待したり、対自国感情を良くして友好国にといった安全保障の対策として借款する場合が多々あります。経済でも外交でも同じ額の援助や投資、融資で効果が大きいのは労働力や物価が安い経済が弱い国となります。そうした返済が危うい相手に貸すのは上述したような下心があるからです。その分リスクは増えます。最初から無償援助でと思いますが、それでは恩を売れても、縛れないからでしょうか。
 一方で、債務国や被援助国の人たちは労働と消費において自分たちの価値観やライフスタイルを守りながら、債権国や援助国の生活水準と同じにしたいという両立し難い欲求を持ちがちです。かといって、国民が自国と他国の生活水準を比較する機会がない鎖国も、通貨や自由競争を否定する原始共産制も非現実的です。便利な工業製品や美麗なサービスが世の中に溢れ、売り込みがあっても、必要最小限必要なモノ以外は地産地消、自給自足の暮らしが理想なのではと思います。しかし、そのためには一度は自らの労働の対価として贅沢を経験し、努力や犠牲とそれによって得られるモノを天秤かけることで成熟しなければなりません。ところが、世界中の大半の人々は自分の親や祖父母の世代の近現代史にすら学びたくないようですし、加えて、債権国は自分たちが債務を抱えている国々には以前から安価な労働力や天然資源を求めて来たという構図を見たくないようです。(しんぼー)

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本心は専制・独裁志向?
 沖縄の二つの新聞がなくなればよいなどと政権政党の若手議員の勉強会で作家が発言し、議員たちもマスコミを懲らしめなければとか、広告を出さなければメディアは潰せるなどと言い放ったと、政権を揺るがす騒ぎになっています。政権内部や政権に近い人でなくても、いわゆる左派や反体制派を嫌う人はいます。志向したり批判したりすることも政治信条や言論の自由ですが、Frangipani仮にも民主主義を標榜する政党内で言論を弾圧するような話し合いが持たれていたなら憂慮すべきことです。互いの価値観を尊重し、傲慢にならず言質に責任を持ち、加えて相手がそう思う経緯を理解しようと常に努力していなければ、自由な社会は得られません。 
 体制が変われば左右も入れ替わり、時代に拠っては体制と反体制が逆の立ち場になります。勝てば官軍という言葉だけでなく、東西冷戦の終結を機にもそうなった実例が多々あります。ただ、憲法九条をめぐっては、護憲において保守と革新が入れ替わっても、反戦平和を求める人たちは冷戦中と変わっていません。立憲主義や三権分立が揺らぐ現代ではありますが、いつの時代も左右ともに必要です。理想の社会に向かって、イデオロギーに拘らず現状に照らして左右のバランスを取って行くことが大切だと思うのです。
 にも関わらず、こうしたファッショな発言がなされるのは、そもそも思い描いている理想自体が異なっているからではないでしょうか。自分は搾取されたり支配されたりする側ではなく、常に権力側にいることが前提で、本心では専制や独裁を志向しているのですが、社会の目や次の選挙の手前、ご都合主義的に自由民主を唱えているのではと穿った見方をしてしまいます。
 思うのですが、例え自分は体制側や主流派だと思っていても、もし政治信条や表現、言論の自由がなくなれば、権力や利益の取り合いの中で自分が少数派にいた場合、今度は自分が左派だと、反体制だと糾弾されるということを分かっているのでしょうか。利己的で反社会的な考えを密かに持っている人たちを含め、彼らが徒党を組んで数の力で押し切るようなことにならぬよう、メディアやジャーナリストは一層奮闘せねばと思います。(しんぼー)