今年最初のリポートに、長引くロヒンギャ難民問題を取り上げるべく、その1回目の取材として関東へ行って来ました。ビルマ政治の専門家と在日ビルマ人、そして日本に暮らすロヒンギャ難民から三者三様の話を聞くことができました。 ということで、インタビュー取材が主で、旅モノの制作ではなかったのですが、都内のビジネスホテルで目覚めると、青空の下マウントフジが間近に聳えていたのです。かつて6年ほど東京で仕事をしましたが、こんな好条件で富士山を望めた覚えは殆どありません。当然ですが、三脚を据えて押さえておきました(写真:ビデオからの抜き)。未だリサーチ中ではありますが、ミャンマーとバングラデシュで現地取材を敢行した後、1本のリポートに纏める予定です。よって、日本国内で聞く話の前に、このニッポンを象徴するカットが有効に使えると思っています。 ところで、今回は高齢者施設での宿直の間隙を縫っての出張。特別養護老人ホームという施設なので、日頃から夜中に救急搬送や亡くなられるお年寄りがいらっしゃいますが、特に冬場はインフルエンザが深刻な問題です。手洗いやマスク、温度湿度の管理、早期治療のほか、面会の制限など対策は講じています。しかし、肝心の職員が平素からぎりぎりの人数でシフトを回しているところへ、職員が施設内外で罹患し多数の欠勤が出ています。その結果、限られた人が過重労働になって抵抗力が弱まり、また罹患しシフトが回らなくなるという非常事態が危惧されます。 かつて勤めていた新聞社の某支局で法定伝染病が発生し、全ての支局員が隔離病棟に強制入院させられたことがありました。小生は本社からのカバー要員の一人として、ツテも土地勘もない街を走り回って、市内版と県版を何とか埋めたという記憶があります。当時はまだ余力を持たせる経営ができていた時代だったと懐かしんでいてはいけません。医療福祉を筆頭に生命に関わる仕事では、非常時にこそ多忙になるわけですから、いつの時代でも平時の余力は決して余剰人員ではありません。夕方から翌朝まで週1、2回という勤務なので、こうして出張取材にも行け、且つ、最も深刻な社会問題の渦中に身を置けるアルバイト。本業のジャーナリストと両立できているのも、色々ヤリクリして来たことが肥やしになっているのだろうと思っています。(しんぼー)
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