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しんぼー/Shinboh

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ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
男女間に「純愛」はある?
 勤務先の出張で来ていますので、具体的なことは書けないのですが、東アジアのとある国で考え事をしています。「男女の間に純愛はあり得るのだろうか」と、今更気恥ずかしくなるようなことなのですが、今回はそんな疑問を増幅させるような取材なので、夜ホテルに戻ると、どうしても考え込んでしまいます。
 先進工業国で男女平等といっても、男性は子供を産めず、女性は産めることに変わりありません。法律的には人権が保障されていても、当の男女の大半が双方から平等を望まず、男女それぞれ家庭や社会での役割を分担し、その結果、男女で就職や賃金に格差があるのは否めません。具体例を挙げれば、女性の総合職の枠は小さく、男性と対等に正社員になった女性も、結婚、出産後は残業や転勤などが難しくなり、辞める人も少なくありません。子供の手が離れたり、独身に戻って再びフルタイムで働こうとしても、20代でもないかぎり再就職は難しいものです。よしんば、新たに資格やスキルを身に付けても、特に女性の場合、雇用者が年輩の人を欲しがらないのが現実です。
 だからか、結婚を前提にしようが、しまいが、男女が付き合う際に、男性の経済力を見ない女性は殆どいないように思うのです。年収何千万円とか、土地などの財産があるといったことは望まなくても、一緒に生活していけるか、二人で遊ぶカネがあることが前提条件になっていて、カネが切れれば“縁の切れ目”となり、カネがなければ始まらないのではないでしょうか。男女双方に独占欲や嫉妬心があり、一夫一婦制が浸透していることから、やはり、背に腹替えられない事情が優先しているように感じるのです。では、経済的に自立している男女だと「純愛」は可能かといえば、お互い気の向くまま自由に行動できるだけに、ラブラブ期間が過ぎて所謂倦怠期に入ると、仲が持たないのではないかと思うのです。
 ということで、「純愛」は、男女どちらかがどちらかに経済的に依存している関係では打算や妥協することで続くようですが、そうした依存関係にあれば、それは最初から不純ではないでしょうか。一方、自立している者同士だと打算妥協はない代わりに短期間で関係は解消してしまうように思え、やはり純愛は非常に難しく、希有なものだと考えています。(しんぼー)
  

     
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この記事に対するコメント

人の中身を縦割りにして5段階にして考えてみる。非常に良い部分、まぁまぁ良い部分、良い部分、まぁまぁ悪い部分、非常に悪い部分。非常に良い部分に経済力や資産力が入っていればある程度の非常に悪い部分は隠れてしまう。非常に良い部分に人柄が入っていても非常に悪い部分に経済力や資産力が入っていなければ淘汰されてしまう。結婚を締結してからもある程度の出逢いを繰り返す。パートナーの非常に良いに愛情の深さが入っていても非常に悪いに経済力が入ってしまえばその締結も脆く危ぶむ。物質的に豊かになった今の時代。人の心の物差しも物質的な豊かさを自然と求めてしまうのか。物質的な物差しと同様個人の性質も計られる。パートナーの優しさや愛情の幅がある程度有していても力強さが不足している場合、その力強さを兼ね備えた他者が現れた場合はその愛は揺らぐ可能性がある。優しさや愛情には裏打ちされた希望と未来を与えらる力強さなどが必要不可欠だ。果たして未来永劫、純愛を完璧にこなし続ける人間がどれだけいるのであろうか‥

【2014/08/21 06:29】 URL | フォトジャーナリスト #EnkdVV1Y [ 編集]


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