社会福祉の世話になっていたり、家族や友人知人から支援を受けていたりする人の中には案外、浪費家が多いように見かけます。真夏、水のシャワーと扇風機で凌げるのに敢えて熱い風呂に入ってクーラーをガンガンかけたり、自転車だと自分の健康や地球環境のためにも良いのに排気量の小さなバイクを通り越して車に固執したり、自炊より割高で栄養やカロリーの管理も難しくなるのに買い食いや外食、出前を好んだり、雑巾で済むのにティッシュやペーパータオルを使ったり、見栄でブランド物を買ったり、…。 ということで、一見彼らの暮らし振りは豊かで華やかに見えます。しかし、期日までに返せそうにない借金があったり、もしもの時用の貯金がなかったり、保険や年金が払えてないことなどを一度知ってしまうと、なぜそんなに浪費するのか、どうして倹約しないのかと率直に思ってしまいます。こういうネガティブな感情から彼らに対する差別の芽が出るのだと思うのです。 しかし、だからこそ彼らは窮することになったとも言えます。収入に見合った暮らしを、計画を立てて出来ていたなら、そもそも窮していないはずなのです。そして、大人になったら自立していく術を家庭においても、学校においても学べなかった人たちだとも思うのです。或いは、見た目では判らない知的障害や精神障害を持っているのだけれど、それに本人や家族も気付いていないか、気付いていても公にすることを避けている人たちということもあります。 よって、幼い頃に学ぶ機会や環境がなかったとか、病や障害を持っているとか、その結果、大人になっても情報収集や判断の能力がなく、本人一人の意思や努力では簡単に解決できない状況にあるのです。彼らもいてのこの社会なのですから、やはり差別意識を持つべきではなく、この社会で解決して行かねばならないことだと思うのです。不景気に否応なしに格差が大きくなる昨今、こんなことを考えています。(しんぼー)
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