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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
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ルポ集『東南アジアの人びと』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
阪神大震災19年に思う
 年が明けて暫くすると、毎年この日がやって来ます。19年前の今日、当時東京でフリーランスをやっていた小生は、朝のテレビニュースに即阪神入りを決断。カメラバッグを担いで羽田空港へ急行、徳島行きに飛び乗り、徳島空港からはタクシーで鳴門大橋を渡って、先ずは淡路島の震源地を取材。午後3時頃には空爆に遭ったかのように黒煙が何条も上がる神戸市長田区を右手に見ながら、渡船で明石へ。明石の商店街で自転車を買ってからは、被害が大きかった地域を次々と周り、それから2週間くらいぶっ通しで取材していました。
  長田区ではどんどん延焼する火事を前に、消防隊員らが断水で為す術もなく呆然と立ち尽くしていました。東灘区では電柱などが倒れた路地に重機が入れず、周辺住民がほぼ素手で倒壊家屋からようやく救出した時、遺体はまだ温かかったという現場にも立ち会いました。灘区では歩道にずらっと並べられた遺体に布団が掛けられていたのを撮影すると、持って行き場のない無念さで頭がいっぱいだった遺族に、「他人の災難が面白いのか!」と鼻を骨折するほど殴られもしました。
 当然きょうの新聞テレビは「1・17のつどい」や遺族のその後などを大きく伝えています。こうした式典などが行われているのも、犠牲者を追悼するほか、教訓を語り継いで防災意識を高めて行くためです。なので、当時はまだ子どもだった記者やディレクターが遺族らの掘り起こしなども含めて取材・報道することは、正に教訓の継承そのものであり、大変意義があることです。
 しかし、もはやフリーランスではなく、勤め人の身である小生はこの日のために阪神間へ取材に行くことは出来ません。生まれ育ちは芦屋市、学生の頃は神戸市でアルバイトをし、震災前には神戸支局勤務の経験もあるだけに、阪神間は小生にとっては庭のようなところです。こうした自然災害だけでなく、大きな事件事故もそうですが、当時をリアルタイムで取材した経験は今の記事や映像に反映できるのだがと隔靴掻痒の感が拭えません。(しんぼー)
 
 
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