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しんぼー/Shinboh

Author:しんぼー/Shinboh
フォトジャーナリスト
Photojournalist
詳細は下記サイトへ
ルポ集『東南アジアの人々』
"People in Southeast Asia"

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フォトジャーナリストの戯言
取材に基づく記事やビデオリポートではなく、日々の戯言
ぶらぶらしているより遙かにマシ
Cherry blossoms in Ashiya
 10日ほど早かった桜も散り、古都で仕事を始めて3カ月半が経ちました。振られる仕事は軽い街ダネやグルメ、季節モノといった感じか、そうでなければ“ありました原稿”のリライトや再構成です。地域の問題点を深追いすることは求められず、中央や世界の動きに対する地元の反応を軟派や地方版感覚で展開することもノーサンキューと言われます。かといって、一人の人間に密着して、その人の生き方に迫るような企画にも乗ってきません。
 それでも習い性というのでしょうか、古都のアパート泊の夜は色んなタイプの飲み屋を開拓中です。また、アングラ情報の通との交流にも努めています。業種や交友関係が違う人たちとの四方山話から、社内や発表モノでは決して得られない発想やネタを頂戴したことが、これまでに何度もあったからです。
 東京で仕事をしていた30代は、フリーランスのジャーナリストやディレクターとしてキー局でニュースの特集やドキュメンタリー番組をかなり自由に作っていました。しかし、その後放送局の社員として記者やディレクターをやっていた20年のうちに、業界の体制はがらりと変わっていました。近年はフリーランスとは契約しなくなり、制作会社に属すか、派遣会社を経由することが求められます。ということで、今の身分はハケン。しかも、プロデューサーではなくディレクターとしての派遣ですので裁量権が殆どなく、企画会議にも呼ばれたことがありません。
 60を超えると途端に敬遠される社会のようですが、生涯現役でいたい小生にとっては、定年後ぶらぶらしているよりは、これでも遙かにマシ。限られた取材対象の中にも、どこかで自分なりのエスプリを利かせられないか、担当番組を少しでも面白くできないかとは思っています。(しんぼー)

1年2カ月ぶりの新しい記事
 個人サイト『東南アジアの人々』に、ようやく新しい記事を加えられました。前回の更新、一昨年12月にラオスを取材して以来、1年2カ月ぶりとなってしまいました。それは、定年退職から年金受給までの5年間になかなか見通しがつかず、経済的にというより精神的に不安で、万年赤字のライフワークを再開できずにいたからです。Same as before
 久しぶりの自主取材は自分の原点に戻り、最も多く取材してきたカンボジアにしました。民主主義とは名ばかり、三権は全くと言ってよいほど分立しておらず、長期政権の独裁体制となっています。ポルポト時代の禍根と熱帯の国民性でしょうか。ちなみに、北隣りのタイは軍政下のままですし、東隣りのベトナムはずっと一党独裁の社会主義国ですが、カンボジアより遙かに経済開発が進んでいます。地政学的な条件や一国の歴史上の位置は致し方ないとして、それなりに自国に腰を据えて仕事をする人の割合が、両隣の二国はカンボジアより高いからでしょうか。
 また、遠くカンボジアにいて、逆に日本やアメリカ、中国などの近年の風潮を思わずにはいられませんでした。どこでも経済至上主義のようになり、日々の暮らしさえ安定し、そこそこ喰えていたら、違憲であろうが、モラルが低下していようが、殆どの人が問題としないという。「衣食足りて礼節を知る」ならば、衣食の過不足は一人当たりのGDP?いや、通信や運輸が発達した現代では、格差や二極化が元凶?
 断片的にしか伝わって来ないカンボジアの現状を見聞して来ましたが、運動家の檄文のような記事は書きたいとも思いませんし、書けません。ただ、日本は貿易立国ですし、人口減少が著しくなる中でこの生活を維持して行くには、これまでにない規模と深さの人的交流が不可欠です。そこには『東南アジアの人々』との付き合いも大いに含まれています。ひとり一人が、自分たちの代表が、どう付き合って行けば良いのか。それを考えるための材料になればと思っています。『移植された民主主義は…』をアップしました。ご一読いただければ幸いです。(しんぼー)


22回目のカンボジア
 社員たちで手が足りている時期には、派遣ディレクターには仕事が付きません。体が二つ三つないとコナセナイ量の仕事を同時に言われたのは、つい先月のこと。その差が極端なのはさておき、小生は「これ幸い」とライフワークの東南アジア取材に来ています。派遣先への手土産代わりに、往路立ち寄ったタイでも、ちょっとした企画取材をしてきましたが…。Phnom Penh in China 
 さて、若い頃は東西冷戦という構図の中でしたが、今は最早アメリカ一強でもなくなり、中国が音を立てて拡張しています。そんななか民主化に逆行するような東南アジアの動向について、欧米の国際メディアこそ注目しているようですが、日本のメディアは全国紙が外信(国際)面でたまに触れているだけです。日本も参加した国連統治下でカンボジアに"移植"された民主主義は、熱帯のこの風土になかなか根付かないようで、色々と考えさせられます。
 記者を現地へあまり出張させず、原稿がそうした扱いになるのは、受け手やスポンサーの需要がその程度で、商業メディアとして採算が取れないからでしょう。現場を踏めなかったり、トンボ返りだったりして、政府発表や伝聞が殆どの短い記事で、実情や内外の温度差を伝えるのは容易ではありません。企業ジャーナリストは安定収入と引き替えに、"売れ筋"の対象しか取材できません。それが多くの人たちの関心や時代に呼応しているわけで、ある意味、ニュースバリューがあるからです。
 小生はそうした難しいことを到底解決できないので、東南アジア取材は万年赤字の趣味として続け、この国での取材も22回目となりました。初めて来た時は、まだ内戦中で政府軍と行動を共にし、腹を壊さない飲み水をはじめ、扇風機どころか照明の電気にも困り、日本へ電報すら届かなかったものでした。あれから31年。今このブログはエアコンの効いた清潔なホテルで打ち、部屋からアップしています。帰国しましたら、また個人サイト『東南アジアの人々』に新しい記事を掲載します。ご期待ください。(しんぼー)

テーマ:国際政治 - ジャンル:政治・経済

60歳で初体験 仕事量の多さ!
nigatsudo_todaiji 新年のご挨拶で報告させて頂いたように、古都のテレビ局で派遣ディレクターとして働き始め、丸1ヵ月が過ぎました。いま勤務しているテレビ局は、定年退職後の求職中に契約に至らなかった写真館や業界紙と、偶然なのでしょうか共通点があります。それは、今まで一度も経験したことがない仕事の多さです。写真館は半日の撮影で1,500カットほど撮って欲しいと言い、業界紙はペンとカメラを一人で担って1週間にニュース記事10本以上と企画モノも送るようにと契約書の草案に書いて来ました。テレビ局は1ヵ月間に、一人でリサーチから編集までする企画モノを3、4本に加え、週末の週刊ニュースやおでかけ情報もやってくれと。
 新聞11年、雑誌6年、テレビ20年とやって来ましたが、これほど多くの仕事を一度に言われることは初めてです。大きな事件や災害、あるいは難しい被取材者に遭遇して、また、自分で納得できる仕事をしたくて、徹夜したり、何週間も休みを取らなかったり、そんな風に仕事に打ち込んだことは何度もありました。しかし、今回の3社では、大事件が起こっていなくても、難易度の高いテーマに挑んでいなくても、体が二つなければできない仕事量が日常なのです。
 写真はシャッター以前が大切で、やみくもに連写しても良い写真は撮れません。また、よく「原稿は足で書け」と言いますが、自ら足を運んで、自分の眼で現場を見て、自分の耳で話を聞いて書けという意味です。しかし、この本数では広報文書のリライトが関の山です。何を取り上げるのか、それを決めるための取材もあり、取材したものを全て形にすることはありません。面白くないもの、報道する必要がないものを潰すのも、無駄なようで大事な仕事です。でなければ、良い紙面や番組はできません。
 この3社が人手不足に苦しんでいることは明白です。しかし、これでは若い社員も育つ前に擦り切れてしまいます。その場その場を派遣スタッフやフリーランスで切り抜けようとしても、限られた予算では人材が集まらず、定着しないという悪循環に陥ります。ならば、出す情報量を身の丈に合った量に減らす勇気が必要だと思います。しかし、取締役どころか正社員でもない小生が口出しすべきことではありません。60歳を超して良い加減な仕事はしたくありませんが、60歳を超すとこうした仕事しかないのでしょうか。先日覗きに行った日雇い派遣の現場とも似たり寄ったり、メディア業界も質より量、ダンピング競争の真っ只中なのかと感じます。(しんぼー)


テーマ:働き方 - ジャンル:就職・お仕事

新年のご挨拶   転居・転職しました。
 謹賀年  2018(平成30)年 元旦
芦屋シーサイドタウン
 お健やかに新春をお迎えのことと存じます。
 小生は去年7月末、60歳の誕生日に、20年近く勤めた福岡市にある放送局を定年退職し、故郷の芦屋市(写真上)へ戻りました。ちなみに、メアドや携帯電話は変わっておりません。
 しかし、まだまだ元気で隠居などする気は毛頭なく、今年から古都奈良(写真下)の小さなテレビ局を手伝うことにしました。これまでの経験を活して、また新しい仕事ができればと思っています。とはいえ、通勤に片道2時間近くかかるため、正倉院へ徒歩10分程の木賃アパートに“前線基地”を既に設営しました。
 また、今夏からライフワークの東南アジア取材も再開しようと、次のテーマを考え始めています。
 皆様の益々のご健勝とご多幸を祈念しますと共に、本年もご厚誼のほど偏にお願い申し上げます。
奈良・興福寺>